2011年(平成23年)11月20日号

No.521

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山と私

(81) 国分 リン

― 日本一の高層湿原「鬼怒沼」 ―  

 紅葉の季節に温泉付きの山をと探していたら、10年前の5月連休に友を誘い、残雪の鬼怒沼を思い出した。さっそく奥鬼怒温泉郷最奥の「日光沢温泉」を予約した。
奥鬼怒温泉郷は浅草から東武特急2時間、鬼怒川温泉駅から日光市営バスに乗り換え、2時間「女夫淵温泉」に着き、そこから歩いて1時間40分で奥鬼怒温泉郷へ、同じ関東圏ながらすごく奥が深く遠い。

10月9日 天気予報は晴、友と浅草8時発の特急きぬ103号に乗り込んだ。特急券は完売と案内があった。日光観光と温泉人気だ。車窓からスカイツリーのちょっと曲がった姿が見えた。9時58分鬼怒川温泉に到着。隣に赤ベコの車両が停まっていた。一日に一本の会津若松行き直通電車で、故郷を懐かしく思った。10時15分発女夫淵温泉行バスに乗り、以前歩いた竜王峡を過ぎ川治温泉駅に停車し、川治ダムサイドから田母沢トンネルを通り、日向・日影・黒部・上栗山の温泉を過ぎ、戊辰戦争の時、日光東照宮から持ち出された家康公御神体がある栗山東照宮のある家康の里を通り、大きな川俣ダムサイドを過ぎ、川俣湖・川俣・平家平温泉を過ぎると女夫淵温泉終点到着。なんと温泉街道のように10湯もあった。女夫淵温泉周辺も変わり、大きな駐車場が出来たくさんの車で賑わっていた。それに驚いたことに八丁の湯や加仁湯の送迎バスが待っていた。秘湯ブームで客の要望が多いのだろう。12時出発、前回は林道をひたすら歩いたが、遊歩道が整備され案内板があり、鉄階段を昇り山道へ、砥の岩橋の立派な吊橋を渡り気持ちの良い空気の中で昼食を摂り、ゴーゴーと音を立てた鬼怒川の流れに沿い標高1100mからのんびり歩きだした。今年はまだ暖かく紅葉には10日程早かった。でも1300m八丁湯前のもみじの大木はきれいに色付き、光に映えてとてもきれいだ。20分ほどで加仁湯、そこから日光沢温泉の1400mまで歩く。 そこは今年の大雨で橋が流され道路工事中であった。味気ない道だったが橋を直すには仕方がない。日光沢温泉は昔どおり、懐かしい囲炉裏もあった。今日は満員、夕食は1人づつお膳に載せ、囲炉裏の前で岩魚を何も残さず食べ幸せだ。露天風呂は3つもあるが混浴はさすが勇気がなく、19時から女性だけになり、すごい湯量に女性陣の歓声が上がり、13夜の月見をしながらまったり湯に浸り最高。

 10月10日 日光沢の宿を出ると直ぐ温泉神社が祀られ、標識どおり山道を歩くと、乙姫が絹布を織っていたという伝説にちなんだ「筬音橋」を渡り少し歩くと急騰が始まった。歩き始めの20分が一番辛い。ようやくリズムに乗り、快調に歩くと「オロオソロシの滝展望台」標識がありテラスができて、対岸の長いクネクネした滝が見えた。
休憩用のベンチとテーブルもあり一息、ここから少し登るとブナやミズナラ、モミ、アスナロの樹林帯を歩き、少しぬかるんでくると木道が設置され歩きやすくなり、見覚えのある鬼怒沼2040mに9時半到着。草紅葉を期待したら、そうここは尾瀬沼より600mも標高があり、9月に草紅葉から湿原全体が真っ赤に燃えるような色彩に変わっていく。遅かった。大小47の地塘があり、金沼、徳利沼など名前も付いている。木道が一周20分のコースになり、風も無く、暖かくのんびりベンチで休む。振り返ってみると根名草山とその隣に日光白根山がはっきり見えた。「そうだ。9月に登った燧ケ岳も見えるはず。」前に進むと、そこが燧ケ岳の展望台ではっきりと見えた。北の端へ行くと行止まりで左は大清水へ、右は尾瀬沼への標識があった。今回はピストンで女夫淵温泉へ帰る予定なので、今度は夏に大清水や尾瀬に縦走しようと友と約束した。13時に日光沢温泉に戻り、温泉に入り、気分よく女夫淵温泉へ戻り、今回の紅葉と温泉の山旅を終えた。季節の変化で同じ山もまるで違う自然は素晴しいと思う。