2011年(平成23年)7月20日号

No.510

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山と私

(76) 国分 リン

― パワースポット「御岳山」 ―  

 東日本大震災から百カ日の「卒哭忌」が過ぎ115日、雪の槍ヶ岳を登って50日、その間に青森県八戸・山の友人宅へ陣中見舞いをしたが、幸い友人宅は海岸から離れた市中にあり、ボタンや芍薬の花を見事に咲かせていた。翌日その山友の案内で海岸の津波の痕跡は悲惨であった。岩手県や宮城県、福島県の大震災は想像を超えた恐ろしさで、まだ大勢の方が避難生活を強いられ、行方不明者も大勢でやり切れない原発事故は私のふるさと「福島県」を最大に痛めつけ、許せない憤りで一杯だ。

 6月25日「御岳山」へ行かないかとKさんから誘われ、即、一緒に行くと返答した。雨天決行と決めていたので、新宿駅発「ホリデー快速奥多摩1号」にKさんと待合せして乗った。お天気は曇りなのに車内はザックを持ったハイカーで賑わっていた。

「どうして奥多摩人気なのか」と聞いたらKさんの答え「テレビ東京の番組・アドマティック天国・御岳山」を取り上げ、それに若い女性人気のパワースポットだという。」内心高尾山の混雑を思った。青梅を過ぎ「御嶽駅」に到着し、急いでバス停に行った。「ケーブル下行き」バスは満員になり、増発が出た。

御岳山は奥多摩の山を歩く人にとって、奥多摩の入口とも言える山である。山上に崇神天皇7年の創建と伝えられる御岳神社があるために古くから森林は保護されてきた。以前はもっともっとうっそうとしていたが、伊勢湾台風や41年の26号台風などの大きな台風の被害で、当時よりだいぶ明るくなってしまった。この、たびかさなる台風にも負けず、大地にしっかり根をおろし、参拝の客を迎えてくれるのが神代ケヤキである。推定樹齢1000年、樹高約23mあり、さすがに樹冠のほうはおとろえを感じさせる部分もあるが、下から見上げたその姿は素晴しい威圧感であった。幹囲約8.2mもあり、昭和3年、国の天然記念物に指定されていると、ガイドブックに記されていた。コブがむくむくした樹肌にはたくさんのコケがはえ、数種のシダがいっぱい着生し、ツタウルシ、キズタなどもそれにからみ、下のほうにはミツバベンケイソウと共にユキノシタの花がぴっちり咲いていた。植物に興味があれば、この樹に出会えただけで幸せだ。参道脇には古くからの宿坊がたくさんあり、歴史を感じる。この参道は犬連れが多い。お清めの清水に犬用の低い台があり、手足を洗っていた。

「この大震災の行方不明者が身内に帰れるように、被災者が立ち直れるように。」を心から祈る。

 お参りを済ませ、岩石園の古い案内板を道しるべにどんどん下り、清流の上に敷き詰められた石を右、左と渡りながら天狗岩に着き、親子連れや、若い女性たちのパーティが七代の滝から次々とロックガーデンを目指す。暗くなり小雨になり、傘を指して歩くと岩石園の標識と東屋と雨に濡れたベンチがあった。東屋でお昼にしてゆっくりと思ったが、雨宿りとお昼と賑やかで、次の目的地綾広の滝へ、小さな鳥居があり、眼の前に頭上10mから流れ落ち、辺りは幽玄な雰囲気に満ちているが、行列ができる一歩手前のようで早々に歩き大岳山の分岐から一周して戻る。参道近くで笛と法螺貝のボーッ、ボーッの音に引かれて後を歩く。10人ほどの集団で練習していると聞いた。分かれて大塚山を目指そうと歩くとこちらはひっそりとしていた。大塚山頂上は6人がベンチで料理を広げていた。前回は3月に登り、その時の印象とは草が繁茂し緑が色濃い。大塚山を直ぐに下り、7月下旬から9月上旬に可憐に咲く淡い紫色の花・レンゲショウマの群生地に約5万株が咲き揃う場所に到着、残念ながらまだ一輪も咲いていない。8月初旬にレンゲショウマに会いに来よう。

今回はとにかくお参りが主の目的なのだから。
どうぞ一日も早く避難民の方々が家へ戻れますように。