2011年(平成23年)7月1日号

No.508

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安全地帯(325)

頓珍漢


 大震災(1)
リーダーで最も困るのは「やる気があって能力のない者」

 

 何千年に一回というマグニチュード9・0の大地震が襲ってきた。この地震は10メートルを優に超す大津波を起こし、これで大丈夫であろうと人間が準備した防潮堤を無残にも崩して二万人を超す死者と数万戸の住宅破壊の災害をもたらした。さらに、福島原発も津波に襲われ、レベル7のメルトダウンにさらされている。これは日本の存続を懸けた国難である。対処にも復興にも長期の困難な事態が続く容易ならざる国難である。国難に際しては日本国民は少過も大過もあったが総じて世界が驚嘆するような対応を示した。混濁の状況のもとでも、日本はまだまだ大丈夫の自信を持った。

1、 危機のリーダーシップ

 国民の苦難に耐え、復興への意欲振作には首相のリーダーシップが強く望まれる。菅首相は、この点落第である。国民に何の影響も与えない行動と発表をするだけでは、居てもいなくてもよい状態である。むしろ首相であることが国難である。菅首相は谷垣自民党総裁に救国大連合を呼びかけた。呼びかけた方も呼びかけられた方も本音は救国とは程遠い政権維持への執念と反発で雲散霧消した。非常の情勢下でも本末転倒の政治感覚で対処しているのにはただあきれるばかりである。四面楚歌の中にあって菅首相は辞任を引きのばしている。引き延ばしの理由は「責任感」であるが旧軍でも最も困るリーダーは「やる気がって能力のない者」といわれた。菅首相のやる気は「思いつき、その場しのぎ」であり能力は会議、委員会の乱造だけである。首相に必須な「方向の明示」は露ほどない。ニーチェ曰く「偉大とは方向を与えることである」

 愚かな首相のもとでも現場は助け合い力を合わせて危機を乗り越えており、福島第一原発では放射能に身をさらし、命を懸けて復旧に挺身している多数の作業員がいる。福島、茨城の農協、漁協のリーダー達も東電への賠償要求に急で、組織の再建の声が聞こえてこない。知事では村井宮城県知事がかろうじて及第か。

 リーダーではないが、東電,原子力保安院の発表者は視聴者に不安と焦燥を与えるだけでTVに登場はむしろ有害である。何を伝えるのか、どのように分かりやすく伝えるか等を頭にしっかり叩き込んでから発表しなければならない。ぼそぼそと小さな声で原稿を読まれると視聴者は発表内容に不安を生じ焦燥が生まれる。

 枝野官房長官は好きな男ではないが堂々としており、大局観を失わず、立派に見える。物事の決定に任じているわけでないので万福の信頼を置けるとは言えない。

2、危機対応

 危機対応の諸動作はスビーディ、タイムリイ、フレキシビリティでなければならない。
 そして諸動作の根底に危機を顧みない社会奉仕の概念が必要である。菅首相は福島原発視察後対策を指示したが原子力事故としては初動が遅れた。前夜に指示が出来ていれば少なくとも放射能が漏れだす12時間前から対策が実行できたであろう。現場視察が政治のパフォーマンスを示したかったものであれば許されない過失である。トップが現場を見ることは必要であるが緊急時には現場の部下の報告を信じて素早く決断を下さねばならない。総理は中隊長ではない。

 救援物資はいかに早く被災者が望む者を被災者に届けるのがポイントだ。流通行程の障害排除と物資集積のタイミングを計らないと集まった救援物資が荏苒空しく時を過ごすことになってしまう。この点現場では不満があったようであるが、客観的には諸条件を考えるとかなりうまくいったのではないか。

 現場の対応にはフレキシビリティが溢れた。福島第1原発事故では自衛隊のヘリコプター・大型放水車。74戦車が動員され、警視庁の放水車、消防庁のハイパーレスキューの放水車、民間のコンクリート放水車転用等が原子炉冷却に利用された。民間の諸施設は避難所に活用された。

 物資の欠乏には買いだめ、ガソリン泥棒の発生があったが列国のように暴動、略奪の発生には至らなかった。百台もの自動車が列をなしてガソリンスタンドに向かって静に給油を持っていて騒ぎを起こさなかった。計画停電にも従った。警官、市役所、町役場の公務員の多数が市民救護のために命を落とした。福島第一原発では放射能被曝覚悟で自衛官、警官、消防員、東電社員、原子力発電装置製作会社社員、建設会社社員等が決死の活動をした。この任務を拒否した者もおらなかった。その家族も涙をたたえてその活動を支援した。

 野菜、飲料水に放射能反応が現れ、海産物にもその危険が推測されている。これは国民に大きな不安を与えている。問題は政府の発表や学者連中の所見が「健康に実ががない」と「摂取、飲用を制限する」との両者が含んでいるからだ。国民にはどちらか一方を指示するか、少なくとも軽重をつけるべきだ。両方を言いぱなしにするのは責任回避の布石を張っているもので、リーダーに一番大事な責任感の決如を示すものだ。

 災害救助に10万余りの自衛隊員が派遣された作業の危険度に応じて最高4万円の手当が支給されることになった。結構なことである。戦場の出征する時にはどれほどの手当を考えているのか。民間の危険従事者の手当は誰が出すのか。

3、大衆の反応、4、外国の評価は次号7月10日号に掲載する。