2011年(平成23年)6月10日号

No.506

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茶説

嘘つきの元からは有能な士は去る

 

牧念人 悠々

 司馬遷の「史記」を読めと進めたのは毎日新聞の先輩・岡本博さん(故人)であった。暇を見て武田泰淳著「司馬遷」―史記の世界(講談社文庫)貝塚茂樹著「史記」(中公新書)宮崎市定著「史記を語る」(岩波新書)などを読んだ。含蓄のある故事がいっぱい書かれてある。中国は戦国時代の話である。趙の宰相平原君が都邯鄲に宏壮な屋敷に「食客3千人」を抱えていた。その2階から平原君の寵愛する婦人が一人のいざりがおぼつかない足取りで井戸の水を汲んでいる姿を見て大声をあげて笑った。翌日そのいざりが平原君にいった。「殿様を慕って千里を遠しとせずに都にやってくる男たちは殿様が妾より人材の方をずっと大事にされる方だと信じております。殿様の後宮の妃が2階から私を指さして醜い姿を嘲笑されました。私は無念でなりません。私を笑った女の首を頂戴したいと存じます」。平原君は承諾した。が、実行しなかった。ところが、食客が一人減り二人減りだんだん少なくなった。一人の食客が説明した。「殿様がいざりをあざけって女を殺さなかったからです。皆は殿様が人材よりも色を好む人だと思って暇を取ってゆくのです」。悟った平原君はいざりを笑った妃の首を持っていざりの家を訪れ無礼を詫びた。するといつの間にか食客が戻り始めたという。たとへどんな小事であろうとも男の約束は違えてはならないのが古今東西親分の資格であった。

 もともとそのような資格がないうえ、私利私欲を最優先とする菅直人首相である。いよいよ閻魔の大王の元でその舌を抜かれるようになるであろう。「首相より村長偉く見える国」=大津 水生中=と時事川柳にあった(6月4日毎日新聞)。私も菅首相は村長よりも下にみえてならない。

 中国戦国時代にもう一人孟嘗君と言う斉の名宰相がいた。侠客の親分的なところがあった。犯罪人まで部下にした。秦国で宰相になろうとしたが讒訴されてとらわれの身となった。彼を助けたのは犬の鳴き声の上手な盗人であり、鶏の鳴き声の巧い食客であった。『鶏鳴狗盗の徒』と言う言葉が残されている。このような器用な子分のいない菅首相には激しくなるばかりの「菅降ろし」の状況を脱出させる『鶏鳴狗盗の徒』はいない。この時代にあと二人名宰相と言われた人がいる。魏の信陵君と楚の春申君である。信陵君はノイローゼ気味で大酒を飲んで死ぬ。春申君は楚の君主と仲違いをして暗殺されてしう(貝塚茂樹著「史記」中央新書)。

 歴史に学ばざるものは自滅するといわれる。菅直人の末路は明白であろう。