2011年(平成23年)6月1日号

No.505

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茶説

出版社「青春ノート文庫」にエールを送る

 

牧念人 悠々

 友人の山本祐司君が出版社「青春ノート文庫」を設立(4月20日)、すでに童話三冊を出した。彼は「こんな時こそ勇気ある感動的な児童文学が必要だ」と念願の児童文学の旗を大震災にもとで高らかに掲げた。右半身不随ながら10年前から文学サークル「ルパン文芸」を主宰している。会員は35名、うち半数の人が身障者である。文学賞を取った人もいる。すでに出版された童話は小野寿弥著「ドラのクリーニング店」、書内三平著「漁師のうめぼし」、宮原靖代著「よしばーちゃんのスイカ戦争」の三冊である。今年中にさらに少年少女小説8冊を出す予定である。この出版社のテーマは「勇気」「友情」「やせ我慢」「感動」であるという。

 機関紙「青春ノート文庫」1号に作家・園英雄さんが「大震災ジャーナリズム」の一文を書いていた。それによると「東電福島第一原発1号機で水素爆発が起きると、いわき市にある大手新聞の記者、カメラマンが一斉に姿を消した。よく考えると記者たちは原発事故のマニアルに従って撤退したようなのだ。この日以来、いわき市では多数の死者、行方不明者、避難者を抱えながらマスコミの対象から外されたのだ」今の新聞記者はサラリーマンである。危険な取材は一切しない。上司も部下の生命を考えて無理じいをしない。イラク戦争でもそうであった。危険なバクダッドを離れて隣国にいて取材をしていた。現地でイラク人を通信員に使いその人の原稿をもとに本社に原稿を送っていた。第二次大戦の際、身の危険を顧みず、陥落間際のベルリンに残って最後のドイツの降伏の瞬間を取材した記者物語は夢の中の話である。園さんの原稿は続く。「1986年4月ソ連のチェルノブイリの原子力発電所が大爆発を起こした時のことである。知人である毎日新聞のモスクワ支局長の江川記者が部下に言った。『現場は放射能が拡散して危険だ。危険だが私には子供がいないから取材は私に任せてほしい』江川記者は現場に入り,すざまじい記事をたくさん書いた。やがて彼はやせて放射能による『ガン』になって東京で死んだ」。

 江川記者は江川昌君である。平成4年52歳で死去している。著書に「帝王≪ゴルバチョフ≫の落日」(毎日新聞刊)がある。山本祐司君にしても「ロキード事件」では毎日新聞社会部の裁判所記者クラブのキャップとして抜群の働きをした名物記者である。「今私たちができることは励ましの童話を作ることだ」その言葉を忘れず励んでほしい。心からのエールを送る。