2011年(平成23年)5月20日号

No.504

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花ある風景(419)

 

並木 徹

 

劇団「ひまわり」の「アンネ」を見る

 

 劇団『ひまわり』の脚本横山一眞・演出山下晃彦の「アンネ」を見た(5月12日・「シアター代官山」)。2年前の11月にも見た(2009年12月10日号「茶説」参照)。舞台を見てさまざまな感慨にとらわれる。ナチスのユダヤ人に対する迫害のひどさ、「隠れ家屋の人間の確執」、すばらしい人間の善意、生きるということの意味・・・。見る人々に感動を与えるのはアンネ・フランクの「アンネ日記」が残されていたからである。この資料をもとに脚本家・演出家はお芝居に彩りを添え作品を豊かにすることができる。このお芝居ではアンネがはじめに描いていた女優の夢をハリウッドの華やかなダンスで表現する。さらにアンネが書いた童話「妖精」を登場させ舞台を明るくする。

 アンネの日記は1942年6月12日から1944年8月1日までである。隠れ家で午後7時、家族・知人とともにロンドンからのオランダ亡命政府のラジオ放送をむさぼるように聞く。連合軍の進撃に生きる希望を見出す。この放送で亡命政府の文部大臣がドイツ占領下におけるオランダ国民の苦しみを記録した手記、手紙などを集めて戦後に公開したいと考えていることを知った。アンネは自分も戦後本を出したいと考え日記をその基礎資料と使うことを決めたという。隠れ家屋の8人が逮捕された後、日記は階下で働いていた2人の事務員によって保管された。それを戦後ただ一人生き残ったアンネの父オットー・フランクに引き渡された。このような善意な人がいなければ「アンネの日記』は世に出なかったであろう。

 隠れ家屋で不自由な生活を送っている時,開放された際、真っ先にしたいことをのべるシーンがある。「何よりも湯船に熱いお湯をあふれるほど満たし半時間以上もつかっていたい」「さっそくにもクリームケーキを食べに行きたい」「別れてきた人に会いに行きたい」「おいしいコーヒーを飲みたい」「街を歩き、映画を見たい」「私たち自身の家を持つこと、学校へ行きたい」(1943年7月23日、金曜日の日記)。このささやかな夢もかなわず、アンネの父オットーを除いて全員死んでしまう。

 出来事はメモして残すこと。資料として残しておけば後で思い出すことができる。さらに後世まで伝えられる。しかも人々を感動させる。「メモ(日記)を残せ」は人生の鉄則である。わずか15歳の少女がそれを成し遂げたことに感謝したい。アンネが生きておれば今年で82歳である。そのアンネ婆さんを見たければ「アンネ日記」を読むがよい。