2010年(平成23年)4月20日号

No.501

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安全地帯(318)

信濃 太郎


「界よりの光を得たり魚は氷に」(吉田花茅子)

 

 「自鳴鐘」の同人・吉田花茅子さんに句集「界」がある(2010年11月5日発行)。毎日新聞西部本社編集局のラジオテレビ課で俳人・「自鳴鐘」主宰の寺井谷子さんと一緒に仕事をしたことがある。目が大きく活発に動く彼女に、その時つけられた呼び名がゲゲゲの鬼太郎から”ゲゲちゃん“だそうだ。毎日新聞在職は昭和42年から45年までである。時の西部代表は平岡敏夫さん、次いで滝本久雄さん、編集局長は益井康一さん(東京本社でラテ部長を経験)次いで林原龍吉さんである。代表はともかくいずれの編集局長もこうるさかったと思う。それとも女性には優しかったのかな・・・。結婚後、吉田さんが博多に出した料亭に横山白虹さんも夫人の房子さんも訪れたことがあるというから俳句と接する機会は少なくなかったようである。実際に俳句を始めたのは平成11年からで、寺井谷子さんに師事する。私より1年早い。毎日新聞では20年も後輩であるが俳句では1年先輩の吉田花茅子さんの句を悠々流で味わってみたい。

「冬うらら相性悪き猫がくる」

 お客に何となく性の合わないひとがいる。天候が良い日だというのにブルドックに似たやつが来る。こういう俳句ができると少しは気分が良くなる。

「朝鮮半島かすみて見えず春疾風」

 北は核武装、核開発に狂奔し、庶民は飢えに泣く、南は歴史認識、教科書書問題など、どうも平和友好親善はさっぱりである。『はるあらし』と感ずるのは当然である。房子さんに「春疾風いまだに灯らぬ崖の家」の句がある。

 「捨て台詞吐いて空しや青トマト」

 人間何歳になっても青トマトである。「天の道」を歩いているつもりがついついわがままが出て怒鳴ってしまう。私利私欲にとらわれるのですな。

 「沈黙が金とはならず時雨来る」

 今の時代、言うべきことはその都度、言った方が良いようである。黙っていたから黙認したように取られ、「その時賛成したではないか」と文句を言われる。「横時雨」のような形でやられるとこたえる。

 「姦しく死ぬ話して夜の秋」

 年をとると、すぐ話になるのが「体」、「病気」や「死ぬこと」の話である。この人たちは前向きに生きていない人たちである。はっきりと目標を持っていない輩たちである。

 「鐘撞きて南無観音昨年今年」

 鐘は命を伝える。消えゆく命も生まれ出る命も伝えてゆく。南無阿弥陀仏と祈るもよし、観音菩薩とあがめるもいい。ふるき年から新しき年へ鐘がなる・・・・

 「大正の母の片意地寒牡丹」

 吉田さんの母は平成18年5月に亡くなっている。谷子さんは「嘆きなお深し母の日近ければ」の弔電を打つ。私も大正生まれである。大正はわずか15年。明治が45年、昭和が64年、その間に挟まって肩身の狭い思いをしている。世の中の識者は明治が「勃興』、「希望」、昭和が「敗戦」「繁栄」,大正が「沈滞」と言う。よくよく調べるとこの評価は不当であると思う。昭和へ橋渡しをする「活気」「前進」の時代であったと私は見る。生活の中での女権確立を目指して女工たちがストに参加する。米騒動は浜のおかみさんたちが起こした。護憲運動が頻発した。私なら「大正の父の片意地寒椿」と詠む。だが、彼女の「母亡くて漬けるあてなき梅をもぐ」には涙が出る。

 「長生きも罪と言う父かぎろえり」

 私は120歳まで生きると宣言している。やることがたくさんある。この国の将来をもう少し見てみたい。今の内閣は歯がゆくてしょうがない。そして吉田さんの「界よりの光を得たり魚は氷に」ような素晴らしい句を作る時間がほしい。