2010年(平成23年)4月10日号

No.500

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山と私

(73) 国分 リン

― 東北・関東大震災に遭った「蔵王スキー」 ―  

 テレビの画面に釘付け、自然に涙が溢れる。これが夢であってほしいが、現実だ。
これから震災に遭われた人々の生活はどうなるのか、少しでも助けになり、できることがあれば、やらなければと切に思う。

 3月11日 14時46分 ゴォーッと山がうなった。蔵王スキー場の中央ゲレンデのダイヤモンドコース上部にいて滑り降りようとした時、「地震よー。キャー。」思わず叫んで両ストックにしがみついていた。ふりかえり、後の連れのKさんを見た。「大丈夫、地震よ。」「凄かったね、震源地はどこかしら。」若者集団が携帯の緊急地震速報で「雪崩がくるかも」と叫んで、蔵王温泉へ向かって一気に滑り降りて行った。

 やっと揺れが落ち着き、周囲を見渡した。この蔵王スキー場は15年ほど毎年お世話になり、雪崩は心配ないと聞いていたが、この地震は別格の揺れ、不安になったが、このスキー場で雪崩に遭うならその時は冷静に行動をと、覚悟を決めた。この広いゲレンデに数人のスキーヤーしかいない。「停電になり、リフトは動かないですよ。」リフト管理人が叫んでいた。2人で相談して「宿へ直ぐ戻ろう。」スキーを担いで坂を登り、ドッコ沼へ着き、宿が見えた時はほっとした。ちょうどスノーモービルに乗った宿のYさんが「今探しに行くところでした。良かった。安心しました。」「リフトやゴンドラに乗っていたらどうなるの。」「スノーモービルでそこまで行き竹竿の鈎を掛け、引き寄せ懸垂下降させる。ゴンドラは下に竹篭が付いていてそれに乗せるそうです。」
リフトに乗ってなくて良かった。

 私たちの宿は、もともと社会保険施設として蔵王の中腹1300m地点ドッコ沼脇に鉄筋3階建ての立派な建物であり、仕分けで見直され山形の会社が買い、引き継がれた。ロッジ蔵王ドッコ沼の客は今夜私たち2人だった。15時45分宿へ戻り一息ついた。非常灯が付いていた。ワンセグ携帯で震源地と津波の被害をしり、震えが止まらない。連れの友の妹さん夫婦が仙台在住で、直ぐ携帯で連絡するも繋がらない。停電で情報が無い。まずラジオを準備してもらったが谷間で電波が悪く役に立たない。次に暖房の石油ストーブ、懐中電灯、ローソク、水道は地下タンクから電気ポンプで上げているので、トイレ流水も駄目、でも地下の水タンクにたくさんあるから直ぐ大きなバケツや鍋に準備してくれた。お風呂も水を張ってあることを確認した。「明るいうちに夕食を皆で準備しましょう。こんな時は鍋が一番ね。野菜を洗って、切るから。大根はサラダと鍋にね。」とKさんの指示で寄せ鍋ができ、1時間ほどで非常灯はバッテリー切れで消えた。携帯メールだけはつながり、私は娘と会社の同僚とやり取りができ、無事と被害無しに安心した。友も携帯で妹さんの無事が確認され安心した。電池切れが怖いので、最低限のメールで済ました。外は雪が降り続いていた。17時にローソクの灯りで気もそぞろに食事を済ませた。どんどん気温が下がり周りも真っ暗になった。宿のYさんとアルバイトの部屋を確認して、懐中電灯とローソクの灯りで3階の和室に行き、布団を全部使いいつでも飛び出せる準備をして滑り込んだ。眠りに着いた途端に、ガタンゆらゆらと大きな地震に「キャー地震」と叫んでいた。目が覚めしばらく様子をみて、落ち着いたのでまた眠りについた。

 3月12日(土)大きな窓から朝日が差し、雪景色がキラキラ輝いていた。昨日の災害が無ければ、絶好のスキー日和。でもまだ停電中、朝ごはんは昨夜の鍋のおじやとおしんこでそうだ非常事態なのだ。宿のYさんが「隣の蔵王高原ホテルに行ったら、スキーツアーバスで来ているお客が、今日帰るバスを予約しているから、そのバス会社に聞いてあげるよ。と言われ頼んできました。但し15時30分蔵王温泉駅バスターミナル発で何時間掛かるか分からないですが。」私達は直ぐにお願いした。とにかく情報が欲しいので、宿のYさんの後ろについて隣のホテルで自家発電のテレビを見せていただこうとしたら、「こんな状態では客は来ない。従業員も自宅待機にする。燃料も切れてしまった。バスで帰宅の件は大丈夫ですよ。14時に雪上車で下まで送ります。」支配人にお礼を言って外に出た。宿のYさんが「中央ゲレンデリフト管理小屋が、自家発電でテレビも電話も繋がるから行ってお願いしましょう。」プレハブ小屋の中には、昨日から泊り込みで復旧作業やリフトの管理をするための若い男性たちと年輩の方がいて嫌な顔一つせず「座ってテレビ観てください。」お茶まで入れてくださった。「電話も自由に使って心配なところへ架けていいですよ。携帯も充電しなさい。」親切な人たちに思わず胸が熱くなった。テレビの大震災画像は想像を超える壊滅的な状況と叫んでいたが、映画のセット撮影の数十倍もの悲惨さだった。山形新幹線は止まり、家に帰れるのか本当に心配になった。豆餅や胡麻餅を焼いてご馳走してくれたリフト管理所長さんに厚くお礼を言ったら「これに懲りず来年も蔵王に来てくれ。」聞くと、この12,13と19〜21日予約がたくさんあり、このシーズン最期の賑わう予定が、打撃だろう。宿のYさん手作りラーメンをご馳走になり、スキーと靴を預け、Yさんに深く感謝した。雪上車に乗り上の台スカイケーブル乗り場へ送られた。そこからホテルの車で蔵王温泉センターバス停まで乗せてもらった。15時20分バスに乗り新潟経由関越道で7時間30分予定通り23時に新宿駅到着。無事に帰れた。
自宅までの電車も動いていてラッキーだった。

 14日普通通りに会社へ出たら「よく帰れたな。」笑顔で迎えられ安心した。

 この大震災に遭ったスキーの体験は、蔵王スキー場関係者の暖かい対応に深く感謝をし、同じ東北で未曾有の災害に遭われた方へ少しでも光が当たることを願いつつ。