小さな個人美術館の旅(18)
清春白樺美術館
星 瑠璃子(エッセイスト)

 「白樺派」の名前を知っている若い人が、いまどのくらいいるだろう。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎ら学習院出身の作家が中心になって出したのが、文学雑誌であり美術雑誌でもあった「白樺」。そこに集った若き芸術家たちが白樺派というわけだが、雑誌創刊が1910年、23年には終刊号を出しているから、実際に白樺派が「白樺」によって活躍したのはずいぶん古い。だがそれから半世紀近くを経た私の学生時代には白樺派の文学を熱く語る友人たちは大勢おり、志賀、武者小路ともに健在で、武者小路実篤はまだ盛んに作品を発表していた。七○年代から八○年代にかけての、いわゆる「文学全集全盛時代」にも、個人主義、理想主義、人道主義に根ざしたその文学は若い読者層に熱烈な支持を得ていたのだった。ここ十年か二十年で、文学もそれをとりまく環境もずいぶん変わった。

 清春白樺美術館は、その白樺派にゆかりの美術館だ。武者小路、志賀を敬愛し、個人的にも親交のあった銀座の画廊主吉井長三氏が、「白樺」同人が建設しようとして果たせなかった「幻の美術館」を実現したのは1983年のことである。雑誌「白樺」が紹介して初めて日本に根づいたといっても過言ではないセザンヌやロダン(創刊第二号からセザンヌの評伝の連載を始め、同じ年にはいまも語り草となって伝えられるロダン特集、その一年後にはゴッホの特集を出すなど、セザンヌもゴッホもまだ殆ど知られるところのなかった当時の日本にあってそれは驚異的なことであった)、梅原龍三郎、中川一政、岸田劉生など第一級の作品が、これでもかというふうではなく、ほどよく並べられた美しい美術館である。しかしこの美術館は、ただ素晴らしい作品をもっているということに尽きない。

清春白樺美術館

 美術館建設の三年前、吉井氏はここ山梨県長坂町清春(現在は中丸)の廃校になった小学校の跡地を買い取って「清春芸術村」と命名、武者小路らが理想とした制作と観賞と瞑想の場をつくるべく十年計画を立てたのであった。

 その第一弾が貸しアトリエだった。モディリアーニやシャガールらが創作に励んだパリ・モンパルナスのアトリエ「ラ・リューシュ」を再現した鉄筋三階建て二十八室からなるアトリエ兼宿泊施設である。「ラ・リューシュ」とはフランス語で「蜜蜂の巣箱」の意だが、円形に近い十六角形の建物は本当に蜂の巣のように全ての部屋が外に向かって開き、どの部屋からも芸術村を縁どる桜の並木越しにくっきりと山々が見える。南アルプス連峰、八ケ岳、遠くに秩父連峰、そして富士。こんなところで制作に没頭できるなんて考えただけで胸が踊る。私が通された部屋はレジエの部屋で、甲斐駒に面していた。内部のつくりもすべてレジエの使ったのと同じに作られているという。キッチンを備えイーゼルを立てたアトリエがあって、どの部屋でも絵が描けるこんな宿泊施設が日本では他にあったかしら。折りしも隣りの部屋には外国から来た画家が長期逗留していた。

 十年計画の第二弾が美術館であった。谷口吉生氏の設計になる白木の床と自然採光を取り入れた瀟洒な建物は一部が二階建てで、入ってすぐ中二階に上がると、そのまま自然に二階を通って階下へとつながってゆく流れるような設計である。作品で言えば小島善太郎「甲斐の駒ケ岳秋景」を皮切りに白樺派の画家たちに始まって、セザンヌ、ルオーなどを経て一階に下りると、そこが白樺文人たちの作品を飾る部屋という仕組みだ。どの画家の作品も「ああ、これはここにあったのか」と驚く充実したコレクションだが、私にとって圧巻はやはりルオーだった。この画家の絵はいつ見てもしんそこ心を揺さぶられる。

清春白樺美術館

 制作と観賞の場の後にできたのが、瞑想の場としての「ルオー礼拝堂」である。敬虔なカトリック教徒であったルオーが朝夕祈ったという小さなキリスト十字架像(十七世紀の木造で彩色はルオー自身)を祭壇に飾ったコンクリート打ち放しの小さな礼拝堂は、白樺の疎林の奥にひっそりと静まりかえっていた。扉の上の、画家自身による美しいステンドグラス、壁面に飾られた版画「ミセレーレ」、それに、マリー・クレール・アランが来て弾いていったという小さなパィプオルガン、木のベンチ。他には何の飾りもない簡素な空間は、まさに祈りと瞑想の場にふさわしい。

 1976年に武者小路実篤が九十一歳で没して二十年。白樺同人や「白樺」の運動に参加した人はもうだれもこの世にいない。その文学を読む人は年々少なくなってゆくし、美術作品を見る機会も一部の例外を除けばそう多くはない。しかし彼らの精神、「百万人といえどもわれ行かん」の徹底した自己尊重と友愛の精神は、ルオーやセザンヌの作品とともにここに脈々と受け継がれ息づいている。

 仰ぎ見る山々をバックにすすきの穂が銀色に輝きゆれる初秋の美しい一日、私はつくづく白樺派というものについて考えた。その「思想」を越えるものがその後はたしてあらわれただろうか、だとしたら、それは何だったのだろうか、と。

 住 所 山梨県北巨摩郡長坂町中丸2072 TEL 0551-32-4865
 交 通 JR中央線長坂駅からタクシー5分 同小淵沢駅よりタクシー10分
 休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日)

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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