2010年(平成22年)11月20日号

No.486

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茶説

政治家の人間が出る「失言」
 

牧念人 悠々

 「失言」はその人の本心である。その人が日頃思っていることがぽろりと出たにすぎない。たとへ陳謝して取り下げたところでその「失言」は後の世まで残る。柳田稔法相が「国会答弁は二つ覚えておけばよい」という地元・広島での発言も本心である。どの閣僚も失言しないよう、揚げ足を取られないよう心がける。法務官僚から教えられた「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠の基づいて適切にやっております」を法相は金科玉条としていたのに違いない。かって小泉純一郎首相は靖国神社参拝の時期を野党議員から聞かれて「時期が来れば適切に判断します」と何回も同じ答えていたのを思い出す。この答弁は許されるであろう。柳田法相のようにいつも紋切り型に答弁し、それを地元とはいえ、こうもあからさまに言うと問題となる。「馬鹿じゃなかろうか」と思う。辞任するのが当然である。責任感を持ってその職務を遂行しておれば、野党議員の質問への答弁も自ずから違ったものになる。その答弁に自分の気持ちが表れるからである。そんな大臣をただちに罷免しない菅直人首相もその程度の人間と見られる。さらに仙谷由人官房長官の「自衛隊は暴力装置」と言う発言に至っては言う言葉もない。自衛隊の最高司令官は内閣総理大臣ではないか。自衛隊法には「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛するのを主たる任務とし・・」とある。第一義的に日本の国を守るのは自衛隊員である。この認識があればこのような言葉は出てこない。自衛隊を侮辱するのはもってのほかである。内閣の番頭がこのようでは内外から侮られるだけである。仙谷官房長官の失言の方が柳田法相の失言より罪が深い。

 新聞社では常套語を使うなと教えられた。たとえば「成り行きが注目される」「一天にわかにかき曇り」「たちまち現場は大さわぎとなり・・・」などである。記事は具体的に書けと言われた。ネクタイをしていたらどんな模様をしていたかを書けという。例えばネクタイの線の模様が左下がりであったらこの人物の運気は下り阪だと判断も出来るというのだ。「自分の言葉で書け」とも教えられた。新聞記事は5W+1Hである。それを文才のある記者が自分の言葉で表現するとたちまち名文となる。

 考えてみると閣僚の答弁は難しい。昭和28年2月28日、衆院予算委員会で吉田茂総理に対して社会党の西村栄一代議士が国際情勢についての総理の見解をただした。吉田総理がイギリスの首相、アイゼンアワー大将の言葉を引用して楽観論を述べたのに対して総理自身の見解を述べよと迫ったことから吉田総理が「馬鹿野郎」と発言、内閣不信任が出されて衆院が解散されたことがある。世に言う「馬鹿野郎解散」である。57年も前の出来事だが閣僚の失言は内閣にとって命取りになる。紋切り型の答弁が生まれる背景であろう。このような状況が続くのであれば菅直人政権は長くはもつまい。