1998年(平成10年)10月10日(旬刊)

No.54

銀座一丁目新聞

 

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茶説

早く希望という名の電車に乗りかえよ

牧念人 悠々

 加来英治演出、栗原小巻(ブランチ)、伊藤孝雄(スタンリー)出演の「欲望という名の電車」を東京・サンシャイン劇場で観た。いろいろ考えさせられた。

 ビビアン・リー主演で1951年に映画化され、世界的にヒットし、欧米では20世紀を振り返り、今世紀最高の戯曲として再び脚光を浴びているという。わかるような気がする。

 夫スタンリーに暴力を振われる妹ステラ(若杉民)を見るに見かねて、ブランチはスタンリーとの別れをすすめる。

 「人間は進歩したはずよ、美術とか、詩とか、音楽とか、新しい光りがさして、人々の胸にやさしい感情を芽生えさせるの。人間は前に進まなくては」。

 現在の日本をみるに、汚職、水増し請求、証拠いんめつ、少年の殺人事件などが多発している。この戯曲の初演は194711月。敗戦2年後である。それから50年余、人間は一向に進歩していない。たしかに技術は進歩し、生活は豊かになった。しかし精神面は進んだとはどうしても思えない。人間が賢くなったとも考えられない。

 昨今、「第2の敗戦」という言葉をよく耳にする。この表現は、バブルがはじけて、百兆円をこえる不良債権が生まれ、金融システムが崩壊寸前にあるいまの経済情勢を指すようである。

 評論家の田中直毅さんは、第2の敗戦を精神面からとらえる。朝日新聞夕刊(916日付)によると、田中さんは「私がいう敗戦とは、問題に対して正面から向かおうとしていないこと、つまり日本人の精神史の問題に関することなのです」

 「バブルの崩壊で空いた財務上の大きな穴。その意味は敗戦に匹敵します。土地にかかわる、ほぼすべての資産が3分の2も減価したのだから。日本はそこで敗戦処理という問題を抱え込んだ。その段階で意欲的に従来の流れを断ち、勃興する精神を取り戻す必要があったのだが、結局は国の責任逃れと事態の先送りで事態は悪化した。これは第2次大戦の開戦から敗戦に至る、かっての日本の精神史と同じ位相にある」

 無責任、事なかれ主義、大勢順応、先送り、無為無策。すべてがそうというわけではないが、政治家、官僚、経営者のその資質、精神面は昔もいまも変わっていないということであろう。

 戦前派は、敗戦と聞けば、ゴハンが食べられなかった終戦直後の飢餓と焼跡を思い出す。いまの日本は米の貯蓄量が300万トンをこえ、海外へ支援米を送る余裕がある。バブルがはじけたとはいえ、いまなお世界で一、ニ位を争う債権国であり、政府開発援助(ODA)額でも同様である。個人金融資産は1200兆円にのぼる。終戦直後とは比較にならない。 むしろ、問題は精神的焼跡である。荒涼たる風景がひろがっているようにみえる。

 

 ブランチ(栗原小巻)が、「欲望」という電車に乗って降り立ったのは、ニューオーリアンズの下町フレンチ・クォーター。川沿いの倉庫から、ほのかにバナナやコーヒーの香がただよい、ミシシッピ川のなまあたたかい息吹が伝わってくる。

 ブランチは聞く。「欲望という名の電車に乗って、墓場という電車に乗り換え、6つ目の角でおりるように言われたのだけれど、極楽というところで」

 女は答える「あんたの立ってるところ。ここが極楽さ」。

 ブランチにとって、そこは地獄であった。

 舞台は、生と死、美と醜、せん細と粗暴さ、真実と虚偽。希望と若さなど正、反をまぜ合わせながら展開、ブランチをズタズタにひきさいでいく。

 

 親はエリートコースにのせるため子供を受験戦争へとかりたてる。キレた少年は刃物で先生を刺殺する。老人が目の前に立っていても若者はシルバーシートにふんぞりかえる。官僚は企業に接待を強要し、あげくの果てはワイロをせびる。政治家は政治より選挙のことを考える。大臣病にもとりつかれる。

 「天下、国家のことを考える」「役人は公僕である」「親孝行」「三尺下がって師の影を踏まず」「敬老精神」「義を見てせざるは勇なきなり」などという言葉は死語になってしまった。なんとさむざむとした風景ではないか。

 利益優先。儲けることはよいことだ。弱肉強食の世の中である。バレなければどんな悪いことをしてもいい。日本はいつの間にかこんな風潮に走ってしまった。

 地域社会に貢献する。美術、音楽など芸術事業を支援するなどと一時企業は力をいれたのに、いまは見向きもしない。

 

 欲望という名の電車に乗った日本はすでに墓場という電車に乗り換えたままである。戯曲は6つ目の角は極楽と教えているが、これは真っ赤なウソである。

 早く日本は墓場行から途中で希望という名の電車にのりかえなければならない。そうでなければ破綻が待っているだけである。

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