2010年(平成22年)4月20日号

No.465

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安全地帯(281)

信濃 太郎

最後の高尾山観桜会
 

恒例の高尾山の観桜会に出かける(4月9日)。この日は寒かった。今年は寒暖の差が激しい。人間でなく桜もびっくりしているであろう。観桜会も21年目を迎える。参加者はわずか9名(うち女性2名)であった。一時は40名を超えた時もあった。80歳過ぎると出歩かなくなる。やむをえまい。観桜会も今年が最後。風冷たく250種2000本の桜が濃く淡く春を染めていた。多摩森林科学園の話では昨年12月ごろからイノシシが出没、桜の根元を掘り返すいたずらをしたという。見学路から見ると桜が咲く斜面がでこぼこに掘り返されているのがわかる。八王子に住む友人もイノシシの被害にあったと話す。イノシシはミミズを食べに来るらしい。先になりあとになったりして夫婦坂を上る。金曜日とあって見物客が列を作るほど混雑はしていなかった。数日前にある会合で知人、伊室一義君から「御車返し」が9日ごろ見ごろだと聞いてきたが、まだであった。後水尾天皇(108代・在位1611−1629)がある桜の木のそばを御車で通られて、“おや”と思われてまた御車を戻されて桜をめでられたところからその名があるという。一つの桜の木に一重と八重の花をつけるという桜である。残念であった。頂上で皆と写真を撮る。ここにくるたびに、植竹与志雄君夫人京子さんの「山桜百歩のぼればわれ消えむ」の句を思い出す。早く死んだ長男をしのんだ作品。さらに私は純白の花をつける「白妙」を見ると、友人橋本閑朗君をしのぶ。彼が死んだ年の観桜会は雨であった(平成12年1月28日死去)。私は「雨有情ありし友なく桜散る」と詠んだ。桜は人を癒し慰める。午後1時半過ぎから場所を高尾山口の栄茶屋に移す。5年前から椅子席になった。一つのテーブルを前に顔を突き合わせての歓談となる。鳩山政権のことから亡くなった友人の話から様々な話が飛び交う。お酒は程よく飲むのがいいというので幕となった。この会を第1回から面倒を見てくれた元林野庁長官秋山智英君が朝、観桜会の前に顔を出して昭和天皇がこの地に来られた事や休まれた建物が残されかかったのを保存に努力したエピソードなどを話してくれた。得難い真面目な友人である。