2010年(平成22年)2月1日号

No.457

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花ある風景(372)

並木 徹

 メキシコの音楽を楽しむ

 
 去る日、メキシコで活躍している弦楽合奏団「黒沼ユリ子とソリスタス・メヒコ・ハポン」の演奏会を聞く(1月18日・東京・紀尾井ホール)。この演奏会は昨年5月、400年前千葉県御宿沖で座礁したメキシコの帆船から多数の乗客を救った日本人の美挙を記念して開催されるはずであったが、新型インフルエンザのためやむなく延期されたものであった。
 合奏団のメンバーは黒沼ユリ子さんが30年前にメキシコに創立した音楽学校「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」での教え子とその先生たちである。

 ヴァイオリン:黒沼ユリ子、カルロス・ロット、エドゥアルド・エスピノーサ、ディエゴ・バニュエロス、鈴木葉子、エリサ・ニヴォン。
 ヴィオラ:岩本憲子、藤井壮一郎。
 チェロ:バルバラ・カミンスカ、グスターボ・マルティン。
 コントラバス:アレハンドロ・エルナンデス。
 ピアノ&指揮:ジェームズ・デムスター。
 この日教え子の一人でいまや国際的ヴァイオリニストとして知られているアドリアン・ユストゥスもソリストで参加、達者な弦捌きを披露した。

 演目はメキシコ人の作曲家によるものばかりであった。私はじめて聞くものであった。
 リカルド・カストロ(1864−1907)の「メヌエット」(弦楽のための)、マヌエル・マリア・ポンセ(1882−1946)の「夜の情景」から(弦楽のための)ブラス・ガリント(1910−1975)「ネルーダの詩」(弦楽のための)。
 瞑想して聞いていると、音楽の流れは雄大である。深い自然の恵みに感謝しつつ、その猛威とも戦う人間の喜怒哀楽を表現する。とりわけ恋の詩は心を打ち、心にしかと響く。息のあった見事なアンサンブルであった。黒沼さんの解説によれば、16世紀半ばには西洋音楽が教会音楽としてはいったメキシコは西洋音楽では日本よりはるかに先輩である。明治維新前にメキシコにはフランスのヴァイオリニストやドイツの声楽家がすでにコンサートを開いている。もちろんヨーロッパに留学してピアノや作曲を学び、メキシコで演奏活動をしている。
 一昨年オペラ「夕鶴」の日本語上演で日本の聴衆を感動させた「つう」と「与ひょう」役のソプラノのエンカルナシオン・バスケスとテノールのアンヘル・ルスがメキシコのポビュラーな歌を歌い上げた。アグスティン・ララ(1897−1970)「ただ一度だけ、グラナダ」、マリア・グリーヴァー(1884−1951)「私に誓って」、キリノ・メンドーサ(1859−1957)「シェリート・リンド」。恋の歌であろう。どこの国も変わらない。悲恋あり、恋の喜びあり。オペラの主役を張る歌手が当然のようにメキシコでは歌うという。音楽は国境を越え人と人を結びつける。ヴァイオリンのディエゴ・バニュエロスは1990年第3回訪日演奏旅行に参加した時は10歳の少年であった。疲れのため休憩時間にステージの袖の椅子でぐっすり眠り込んでしまった。黒沼さんが起こすのがかわいそうであったという。いまや30歳。現在ドイツでヴァイオリン教師として活躍中とか。それぞれの夢は果てしなく広がる。ビバ・メヒコ。ビバ・ミュージック・・・