事実は真実の敵なり
牧念人 悠々

 「新聞週間」(第50回)が15日からはじまる。スポニチは平成4年から毎年開いている"新聞週間協賛企画"「'97スポニチは世界を巡る――その瞬間(とき)人は言葉を忘れる」写真展を越中島の本社で開催する。

 新聞協会新聞研究所の最近の「全国新聞信頼調査」によると、新聞の正確性、公平性、品位性、人権配慮、信頼性の項目が大きく低下しているという。ここ数年の間におきている各種事件、不祥事、問題などの新聞の姿勢、対応をみれば、うなづけないでもない。

 記者達の取材不足、画一的横並びの取材態度、裏付けを取らない取材姿勢、デスクに判断の甘さやミスなどが原因として考えられる。

 神戸の中学3年生の殺人事件を例にとれば、各紙、テレビが"年齢30才〜40才、がっちりした男"を犯人像として伝えた。一人の目撃者の話としては「事実」かもしれないが「真実」ではなかった。

 読者にしてみれば、容疑者が少年とわかると、"新聞は何故、そのようなでたらめな記事を書くのか"ということになる。がっちりした男が黒いポリ袋を持っていたという目撃者の話は事実だったにしても、その男が"犯人"という裏付けは何もない。前線から送稿されたきたこの記事をデスクがボツにするにはそれなりの判断がいる。しかし、この目撃者の話を記事化する場合、扱いを慎重にし、最後に必ず捜査本部の見解を付記する心くばりがいる。

 筆者が取材記者のころ、この種の記事を"書き得"(真実はともかく、紙面化できればいいという意味)といって、むしろ書くのを奨励していた。また、紙面化にとって、読者に事件への関心を向け、捜査取材に協力して貰おうという一面もあった。

 時代は大きく変わった。新聞の記事内容はより正確性を、より人権への配慮を求められている。

 松本幸四郎主演、ミュージカル「ラ・マンチャの男」は舞台で、「事実は真実の敵なり」といい、「一番憎むべき狂暴は、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」と訴えた。

 新聞週間にあたり、マスコミ人に自戒の言葉として贈る。


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