2009年(平成21年)10月20日号

No.447

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追悼録(363)

「横山白虹―上衣を肩にして歩く―」展

 明治、大正、昭和の時代を生き多彩な作品を残した俳人・横山白虹の企画展が10月24日から12月20日まで北九州市の市立文学館で開かれる。期間中5回の文学講座が企画され、俳句雑誌「自鳴鐘」主宰、白虹さんの四女、寺井谷子さん、俳人、金子兜太さんらが講演する。
 横山白虹さんとは毎日新聞西部本社時代知り合い、中国語勉強会の仲間で、ざっくばらんのつきあいであった。亡くなってすでに26年(昭和58年11月18日死去)がたつ。年が過ぎるとともに横山白虹さんの器の大きさがわかってくる。新聞記者として多くの人々と付き合ってきた。横山白虹さんのような人物はいない。第一高等学校から九州帝国大学医学部へ、卒業して外科医、俳人となる。そのかたわら文化活動、市会議員・市議会議長も経験する。それでいて偉ぶらない。万事をのみこんで泰然としている。風格のある方であった。
 私は白虹さんの「ラガーらのそのかちうたのみじかけれ」(昭和9年の作)が一番好きである。この詩の中に男の魂が凝縮されている。そう感じるのは私がスポーツの中でラグビーが好きだからかもしれない。「ニコよ!青い木賊をまだ採るのか」も父親・白虹さんの気持ちがにじみ出てほほえましい。好きな句である。
 友人の医師で俳人の荒木盛雄君(俳号紫微)が俳句雑誌「青潮」に「俳人と医師」を連載中で10月号第7回目に「横山白虹」を取り上げている。荒木君から「横山白虹」を紹介したいという話であったので「横山白虹全句集」をプレゼントした。次の白虹さんの10句を選んでいた。

 菜穀火に轅(ながえ)は昏るる宙を指す(句集「海堡」)
 雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり(同右)註・山口誓子絶賛の句
 よろけやみあの世の蛍手にともす(よろけやみ―炭鉱で肺結核に侵された人)
 梅をおる手は白き労働者(句集「海堡」以後)
 沢潟に真赤な雲が居座れり(句集「空港」)
 手術室氷雨の街と相隣る(同右)
 車庫ふかき日に漂ひぬ秋の蝶(同補選)
 柿の木の走り根四方に原爆忌(同右)
 老いゆくを罪と思わずは百日紅(句集「旅程」)
 賀詞きいて青衣のひとり泣けばよし(句集「旅程」以後)
  註・1983年11月18日逝去前に、自ら余命を知り翌年の「自鳴鐘」新年号に書き遺した遺言の句

 なお「青潮」10月号には荒木君の俳句6句が紹介されている。そのうち「送り火や兄は小艦軍医長」の句が私の心に響いた。
 横山白虹さんの企画展の案内とともに「北九州文学館」(第6号2009.10.1)が送られてきた。巻頭に館長・佐木隆三さんの「現代俳句と戯作者」なる一文が載っている。その中に寺井谷子さんとかわした面白いエピソードが書かれている。東京地裁でオウム真理教の麻原彰晃被告が死刑判決を受けた(註・2004年2月27日)。この時、裁判長が「悪の淵源」と断罪したことから佐木隆三さんは「汝は悪の淵源か、魂の抜け殻よ」と詠んだ。この句を寺井谷子さんに披露すると、谷子さんが「ムキですね」という。無季を無期ととらえた佐木さんが「死刑です」と答えたというのである。佐木さんとは昨年6月、自鳴鐘復刊60周年記念大会の際、北九州市で初めて会った。このエピソードを読んでまた会いたくなった。横山白虹さんと私とのえにしは谷子さんからその俳句同人・知人へと広がり、結ばれてゆく。感謝のほかない。
 

(柳 路夫)