2009年(平成21年)9月10日号

No.443

銀座一丁目新聞

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〔連載小説〕

 

VIVA 70歳!

            さいとう きたみ著

 

第六章 (つづき) 

夏男:その6

 

メキシコでの庭仕事の楽しさは予想以上のものであった。日本に居たころ、苦心して育てていた観葉植物が道端に無造作に植えられているのは当然のこととは言え、感動するのだった。越冬の心配もないし、特に肥料をやるわけでもなく、むしろあっけないほどだ。パキラ、トックリラン、フィロデンドロン、シンゴニウム、ムラサキオモト、ブライダルペールなどメキシコ原産の植物は無数と言ってもいいほどある。わけてもサボテンの類は世界一種類が多い。キンヒモサボテンを始めキンコウセイ、エチベリア、アガベやリュウゼツランもメキシコ原産だ。リュウゼツランといえば有名なテキーラの材料だが、フランスにおけるシャンパンのようにテキーラ村で採れるメスカルだけをテキーラと呼んだのだが、名前が一人歩きし今は少なくとも外国へはテキーラでないと売りにくい。政府が一定の条件をつけた上に3000ブランドを越しては許可しなくなったので、やっとこの名を冠する新製品は出てこないことになった。テキーラについてはメキシコ人たちはしばしば奇妙な自慢をする。ウイスキーにせよワインにせよ勿論日本酒も、世界中の全ての酒は一年草を原料としている。麦や葡萄や米である。しかし、テキーラだけはリュウゼツランが10年経たないと使えない。つまり、世界で唯一10年草を原料とする酒なのだと言う。だから、体にも良いし宿酔いもしない、そう自慢する。科学的な根拠ありやなしや、怪しいがいささかの説得力がある。さて、庭の植物たちであるが、今やメキシコ原産の植物だけでなく世界中がそうであるように、他国の原産植物が多数育っている。春になると英語ではジャカランダ、この地ではハカランダがもっともポピュラーな街路樹として薄い薄紫色の花が一ヶ月以上も楽しませてくれる。日本の桜にも近い勢いである。蕾が桜と異なり厚みがあるので地上に散ってからも美しいカーペットを作り出す。クロトンの種類も多い。日本では一本数万円もするものが数百円、数千円で手に入り、しかも成長が早い。夏男は子供のように夢中になり観葉植物を買い集める。川を見ることが少ないメキシコであるが、夏男の家から車で10分も降りると一年中とうとうと流れる川があり、ビベロスと呼ばれる植物園のように大きい店がたくさんある。これらの店を訪ねることが夏男の重要な行事になった。この広大なメキシコでは夏男の家など決して広いとは言えぬのだが、夏男夫婦にとってはこれだけの広い庭を持つことは初めての体験だったから、はしゃぎ過ぎていたことは間違いない。まず、カンナが野菜つくりを始めた。とまと、キュウリ、ナスなど次ぎに試みた。農薬を使わぬので当然のことだが虫がつく。雑草の除去も楽ではない。手間暇かけての収穫は哀れなものだった。近在の農家が作る野菜は町の市場でいくらでも買える。それも日本とは違い見事なトマトが一山数百円で買えるのだから自ら育てたチビたトマトなど全く無駄でしかない。早々にしてカンナの野菜作りは挫折した。次は夏男の提案で鶏と七面鳥を飼った。何十羽もの鳥たちが金網の中で動き回るのを見るのは確かに楽しかった。鶏は毎日卵を産む。始めは喜んで食べていたが二人だけでは食べきれず、近所の家でも鶏は飼っているので、止む無くメキシコシティーの友人たちに配るのだがさして高価なものでもないので、歓迎されない。定期的に鳥たちの予防注射に獣医に来てもらう手間や出費もバカにならない。生ごみをキレイに食べてくれる七面鳥を、当初はこれぞリサイクルだと感動もし、メキシコ原産のこの鳥をどこの農家でも飼っているのを知り、人々に智恵に感心もしたものだった。東南アジアの国々で時折体験する生ものの腐敗から生じる悪臭がこの国には無いのはこの鳥のお陰ももあるのは確かだが、感謝祭やクリスマス前に成長したのをしめねばならない。これがかりは他人様に手助けしてもらわねばならず、しかも、しめた後の保存のため業務用の大冷凍庫を買い求めたりもしたが、何分大きな鳥小屋での放し飼いだから地鳥の旨みはあるのかもしれないが、とにかく硬い。これまた一年ほどで飼育をあきらめざるを得なかった。素人の農業ごっこがいかに難しいかという貴重な体験であった。
日本が世界でもトップの長寿国であって、その中でも沖縄が首位の座を長く保っていたという。最近は沖縄の食生活に変化が起き、長野かどこかに男性の方は首位の座をゆずったと聞くが、いずれにせよまだ長寿県のひとつではある。亜熱帯性の気候とそこに産する豊富な食材、それらがミックスされた食生活、それらが長寿を生んだ原因らしい。男に比し、女の寿命が圧倒的に長いということは、いわゆるおふくろの味、おばあちゃんの味が保たれているからだという。それに最近よく使われる言葉だが、スローライフも大切な原因だと言う。経済大国になった日本では主として男たちが企業戦士、猛烈社員となり長寿の基本を犯していると言う。メキシコの平均寿命は決して長くはない。それは、無医村など地方の幼児死亡率が高く、カソリックの影響もあっての多産も影響していると言う。幼児死亡率を除くと大変な長寿国だと言う。沖縄が長寿県であるもろもろの原因がそう言えばメキシコにも当てはまる。加えて早寝早起き、一日2度の食事など沖縄に勝るような条件もある。特に沖縄と異なるのは、男たちの非企業戦士ぶりである。メキシコ人は怠け者だという批判もあるが、必ずしもそうとは言えず、とにかく人生を楽しむことが最重要で働くことはそのためにあるという強固な人生哲学がある。メキシコに進出している日本企業の経営者によく聞く例だが、優秀なメキシコ人スタッフに昇進を告げると彼らが一様に喜ぶということはなく、折角の昇進、昇給を断って来る場合がある。給料が上がるのは嬉しいが管理職になればより重い責任が生じストレスが増すであろうし、残業も増え家族との団欒時間も減ることになるからだと言う。この当たりのメンタリティーの違いがこの両国の国民の間には介在する。こと経済の面においては両国の間のみぞは小さなものとは言えない。長寿国をとるか日本的経済大国をとるか難しい選択である。
糖尿病という病気は痛いところがある訳ではないし、気分が悪くなることも少ない困った病気だ。夏男も最初は戸惑ったが今はいわばこの病と仲良くしている。退院してから朝と夕食後に20単位づつのインスリン注射をすることを医師に指示されている。メキシコに越して来てからはストレスからの解放と一日2度の食習慣もあり、血糖値が下がり始め、帰国した折の診断でインスリン注射は10単位づつに減らしても良いことになった。毎日、1時間あまりの散歩と、原則として毎日泳ぐことを心がけている。水泳については以前、アシスタント ディレクターだった青年からの情報を信じて、それを守っている。その青年の友人が都内のプールの従業員で、中日ドラゴンズの監督の落合が現役の頃、シーズンオフに実行していたという水泳法である。落合は秘密トレーニングと称して、この水泳方法を公開していなかったそうでこの従業員の情報が正しいものかどうか定かではないが、何となく有効そうであったのでそれを実行している。水泳というより水歩と言った方が良いもので、とにかく水中で動き回る。いずれにせよ結果的に糖尿には効果的であったと思う。
糖尿病に関してはある時、不思議な体験をすることになる。一日おきに来宅してもらっているメイドのセニョーラが検診で糖尿病であることが発見された。それも血糖値が300を越えるかなりの重症である。彼女の選んだ医師が真にミステリアスとさえ言える女医であった。何しろ95歳だと言う。第二次世界大戦中、連合国側であったメキシコも一連隊だけではあるが参戦しフィリッピンに上陸したと言う。この女医はその時の従軍医師であったと言う。その後、メキシコシティーの北部で開業したのだが、評判が評判を呼び連日門前に行列ができるほどの信用される名医なのだと言う。この女医については本当とは思えぬようなエピソードに包まれている。25人の子供をもうけ、全員元気だと言う。特に最後の子供は彼女63歳の時の子だと言う。メキシコでは高名な政治家の息子が喘息にとりつかれ、父親は国内はもとよりアメリカやヨーロッパの名医たちに次々診せたが、どうしても回復しない。生命にもさしさわる重態となり、最後の手段としてこの女医のところへ連れて行くと驚くなかれ3日で全快したと言う。今はその少年も父親を継いで政治家として活躍しており、必ず毎年一回高級車で現れこの女医に感謝の贈り物をし続けていると言う。我が家のセニョーラもその両親からこの女医の存在を知らされていて、重症になった時にはこの女医に診てもらうように言われていた。セニョーラは女医の指示に従い2ヶ月間食事療法を続けた。驚くなかれ300を越えていた血糖値は全く正常の85までに下がったという。3年間インスリンを打ち続けている夏男はこのセニョーラの話に無関心で居られるわけはない。確かにこの国の伝統的な自然療法は有名である。中国にある漢方薬にも似て多くの薬草がほうぼうで売られているし、人々も日常的にそれらを用いている。やや半信半疑の点もあったがセニョーラの強引さに引きずられ、その女医を訪れた。95歳とはとても思えぬかくしゃくたる女性である。ベージュ色のワンピース姿は銀髪とマッチし、大学の老教授のような風格があった。ものを書いたり読んだりする時に老眼鏡さえかけない。この女医の指示どうりの治療法によって夏男の糖尿病は全快した。一ヶ月、いや正確に言えば27日間の治療であった。まず最初の9日間、朝食前に大量のサラダを食べる。そして9日間あいだをおき、また、次の9日間そのサラダを食べる。それだけである。日々計る血糖値はみるみる下がり始め、27日後には健康人そのものの数値100を切っていた。そのサラダというのはメキシコで言うトマト、ほうずきのように緑の袋を被っている小ぶりのものだが、黄、緑と2種あるが、その中の緑のものを使う。それにショコノシュトレと呼ばれるサボテンの実を加え、レモンの絞り汁と少量の蜂蜜を使う。但し、どんぶり一杯の量である。別に不味くはないが同じ味のものを大量に食べるのは少々苦しい。しかし、何とかやりとげたので奇跡は起きた。どうも魔女ではなく本当の名医かも知れない。その証拠に彼女はサラダ療法の後、これを飲み続けなさい、と日本でもポピュラーなインスリンを体内で出やすくする薬を買い求めるようにと処方箋を書いてくれた。何とも不思議なことが起きる国である。とは言え、この国の奇跡には感謝せねばならない。因みにこの女医に支払った治療費は400円であった。
 

(つづく)