2009年(平成21年)7月20日号

No.438

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茶説

登山者にとって凍死は
恥ずかしいものである
 

牧念人 悠々

 元スポニチ登山学校の校長、尾形好雄さんは「弁当と事故は自分持ち」と戒めていた。山の遭難事故の99パーセントは登山者に責任があるといっている。山はいつも機嫌よく登山者を迎えるわけではない。自然は防ぎきれない。このようなことは登山者にとって基本中の基本である。この基本をわきまえない登山者・登山ツアー会社が後を絶たない。北海道大雪山系で10人の死者を出した遭難事故を見ると、起こるべくして起きた遭難であったといえる。
 登山者10人の死因は「強風や雨で急速に体温が低下する低体温症による凍死とみられる」という。「凍死」ほど登山者に恥ずかしいものはない。山に対する知識を何も持ち合わせていなかったという証拠であるからだ。トムラウシ山(2141メートル)にしろ美瑛山(2052メートル)にしろ夏山登山であっても天候が急変すれば冬山になる。装備もそれに準じたものを用意しなければならない。多くの死者を出したのは軽装だったからである。また日程的にも体力的にも縦走は無理であったのではないか。ガイドの判断ミスも指摘できる。トムラウシ山で遭難した18人がヒサゴ沼避難小屋を出発したのは7月16日午前5時半である。「リュックカバーが風で吹き飛ばされ、岩にしがみついて四つん這いになって歩く状態であった」(毎日新聞聞)。前進か、留まるか、難しいところだ。判断が迷う。だが、リーダーは耐えねばならない。厳冬のサガルマータ(エベレスト・8848メートル)の南西壁からの登頂に成功した尾形好雄さんはいう。「山で死なないためには、やはり状況対処の判断が一番重要なことである。千変万化する自然を相手にどうするかの判断は経験で培われるものであるから、どんどん冬山に出かけて様々な状況下でいろんな形態の冬山を体験し感性を磨くことだ」(尾形好雄著「ヒマラヤ初登頂未踏への挑戦」(東京新聞・2009年7月17日発行)。
 この本の中で尾形さんは「山は何よりも平等なのがよかった」とも述べている。老いも若きも、男も女も、初心者も経験者も、家庭環境や社会環境の違うものにも、すべての登山者に対して平等であったというのである。だから厳しい自然条件はみんなに平等に容赦なく振りかかる。準備が足りず、背伸びして挑んだものには手厳しい仕打ちが待つ。ベテランといえども油断すれば遭難する。
 忘れもしない。スポニチ登山学校10周年が東京池袋で開かれた時のことである。1期生から10期生まで97人が参加した。尾形校長が各期ごとに壇上に上げて生徒一人一人を紹介した。尾形さんは97人全員の顔と名前を覚えていたのである。会場からどよめきが起きた。尾形さんは生徒たちの山の経験、体力、ある程度の性格などを知っていた。これまでスポニチ登山学校は山行回数260回、参加者総数5800人を数える。負傷事故がわずかにあったが遭難事故は皆無である。ここに遭難ゼロに理由がある。
 スポニチ登山学校の記録は各期ごとに文集「サガルマータ」を出しており閉校にあたっては特集号「サガルマータ」を出している。登山ツアー会社をはじめ登山者はまずこれを熟読することをお勧めする。