2009年(平成21年)5月10日号

No.431

銀座一丁目新聞

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追悼録(347)

カメラマン長尾靖さんを偲ぶ

 日本人として初めてピュリッツァー賞を受賞した元毎日新聞のカメラマン、長尾靖さんが亡くなった(4月29日・享年78歳)。静岡県南伊豆町のアパートで一人暮らしの長尾さんが約束の個展に来ないのでその身を案じた友人の安否確認で5月2日、自宅で倒れているのが発見されたという。何とも痛ましい。
 昭和35年10月12日毎日新聞夕刊一面に掲載された、社会党の浅沼稲次郎委員長の刺殺された写真は衝撃的であった。長尾カメラマンが撮った写真である。犯人は17歳の右翼の少年(昭和35年11月2日東京少年鑑別所で自殺)であった。この日、日比谷公会堂で公明選挙連盟主催の自民、社会、民社3党首による立会演説が開かれた。会場には大勢の右翼が詰めかけ演壇からビラをまいたり、激しいヤジを飛ばしたりしていた。
 浅沼委員長が登壇したのは民社党、西尾末広委員長の後であった。突然、少年が演壇の右側から壇上に駆け上がってきた。手に茶色の棒のようなものを持ち、猛烈な勢いで委員長にぶつかった。実は短刀で委員長は深く刺され、はずみで半回転した。少年は演壇の後を通り抜け、右側の長尾の目の前にきて短刀を構えもう一度刺した。少年が二度目に刺そうとした瞬間を長尾カメラマンがとらえた。長尾ははじめ10フィートでピントを合わせていたのを15フィートにピントを合わせ直してシャターをきった。「原稿用紙が飛び散り、浅沼委員長の顔からメガネがずり落ち、少年を捕まえようと手が伸びる光景はテロの恐怖を生々しく物語っている」と「毎日の3世紀」(下巻)はいう。
 この写真はUPI通信を通じて世界中の新聞に送られ大きく報道された。米国の雑誌「ライフ」や「タイム」、フランスの週刊写真雑誌「パリ・マッチ」も掲載した。昭和36年5月1日に外国人としては初めての1961年度のピュリッツァー賞に輝いた。
 ここに意外なエピソードを書く。実は長尾カメラマンは野球が嫌いであった。それが世紀の特ダネ写真を生むきっかけとなった。この日、プロ野球日本シリーズ第2戦・大洋ホエールズと大毎オリオンズの試合が川崎球場で行われていた。第1戦は1―0で大洋がものにした。第2戦もいきづまる投手戦であった。多くの記者、カメラマンが社の車の中でその実況放送を聞いていた。野球嫌いの長尾カメラマンは愚直に現場で頑張っていた。そこに惨劇が起きた。誰も予想しない出来事であった。だから事件は怖いのである。さらに付け加えれば長尾カメラマンのスピグラには12枚目のフイルムが1枚残っているだけであった。カメラマンの「最後の1枚は必ず残しておけ」という原則を忠実に守ったおかげでもあった。心から長尾カメラマンのご冥福を祈る。
 

(柳 路夫)