2009年(平成21年)4月1日号

No.427

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茶説

アメリカの民主主義と
銚子市のリコール
 

牧念人 悠々

 医師不足などから地方自治体の公立の病院が閉鎖、休止に追い込まれてゆくところが少なくない。老齢社会を迎え、ますます病院が必要となるのに何故、地域住民達は怒りの声を上げないのかと思っていたら、千葉県銚子市の住民達がリコールで市長(63)の解職を決めた(3月29日・賛成、2万958票、反対、1万1590票)。当然ながら住民の自治意識を高く評価したい。この市長の場合、銚子市の中核病院である市立総合病院(14科の診療科と276病床を持つ)の充実を訴えて、平成18年に当選したのに病院の診療を休止した(昨年9月)。市民達は公約違反だとしてリコール運動を起こし、有権者2万3405人の署名を集め、2月、市選挙管理員会に市長の解職請求を行った。日本では、えてして住民達が行政のやり方に不満を持ち、怒るが、組織を作り、リコールにまで発展することが少ない。解職された市長は「一刻も早く病院を再開して市民に医療を提供したい」と出直し選挙に出る気構えを見せているという(産経新聞)。リコールを起こした市民団体「何とかしよう銚子市政市民の会」も独自候補を立てたい意向のようである。
 最近、デイビット・ルーさんの「アメリカ自由と変革」−建国からオバマ大統領誕生までー(日本経済新聞出版社・2009年1月22日刊)を読んだ。アメリカの歴史を「開拓と建国」、「分裂と統合」「繁栄と恐慌」「熱戦と冷戦」「覇権と共存」の五つに分けて説かれている。読者が日頃から持つ疑念に答え、アメリカへの関心と興味を深めてゆくように綴られている。
 イギリスが新大陸での植民活動を始めたのは、コロンブスがアメリカを発見(1492年)から115年たった1607年であった。104名の移民が「ジェームズタウン」を作る。その後移民がきたものの病気、飢え、インディアンの襲撃などで苦難が続くが1612年煙草を発見、その栽培に成功、輸出して繁栄する。1619年には最初の代議制議会を開くまでになる。今から390年も前の話である。メイフラワー号がプリマスに到着するのはその翌年だ。全員で101名であった。彼らは船上でルソーが唱えた社会契約に似通った「市民共同体を作り・・・公正で平等な法律を制定する」というメイフラワー誓約書を作っている。ジェームズタウンから遅れること13年である。スペインやフランスの植民活動はその前に既に始まっていた。それなのにイギリスが最後に成功したのは何故か。イギリスからの入植者が世界に模範になるような政治体制を作り上げようとしていたのに対してスペインの探検隊には永住の気構えがなかった。またフランス人は戦略的拠点を占領し土地のインディアンと仲良くしながら毛皮貿易を推進したが農業を怠たっていた。つまり初期アメリカ文明の基調には農業社会への意識と関心があり、これが成功の元となった。18世紀にはいるとイギリス領アメリカの人口は25年ごとに倍増し1750年の総人口は150万人を超えた。フランス領アメリカの人口は6万5千人に過ぎなかった。
 アメリカの住民自治も苦難の歴史であった。「人種の坩堝」と言われるだけに旧習に囚われ、閉鎖性に悩みながらも未来社会へ夢を見ながら、勤勉、自助の精神、挑戦の気持ちを持ちつつ開拓していく内により良い代議制を作り上げた。13州が独立するのは1776年である。ジェームスタウンから実に157年もかかっている。日本が民主主義国家になってからまだ64年に過ぎない。町には義理人情に縛られ、本音を隠し付和雷同、陋習がまだ残る。よくぞ、銚子市(有権者5万9804人)で市長のリコールが成立したと思う。投票率56・32%と高いが、それでも棄権者は2万6122人を数える。民主主義は自分たちで育ててゆくものだ。出直し市長選挙の結果が待ち遠しい。