2009年(平成21年)3月20日号

No.426

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花ある風景(341)

並木 徹

「魅せられて 中国」写真展を見る

 中国撮影友の会(会長・黄金樹さん)の撮影会30回達成記念の「写真展」を見る(2月28日・東京・六本木・富士フィルムフォトサロン)。写真に覚えのある写真家21人の作品84枚と作品の空間をうずめる「落穂拾い」の写真24枚が展示されてあった。私は友人の医師、荒木盛雄さんと出かけた。本紙にもしばしば登場する霜田昭冶さんの案内を受けたからである。会場に入ったとたん、張り詰めた緊張感のようなものを感じた。いずれの写真も芸術作品であった。迫力があって訴えてくる。ずっしりした重みを感ずる。背後にある歴史であろうか。もちろん撮影者はそんなこと意識をしていないであろうが、ひきつけるものがあった。まさに「魅せられて・・・」である。
 入口近くにあるマンダラの写真(黄金樹撮影)に目がとまる。説明に「雪頓節の巨大唐卡(チベット・ラサ)とある。真ん中のお釈迦様がほほ笑んでいる。マンダラの周りには老若男女、すごい人の波である。2006年9月に13日間「チベット高原大走破」した妻の話によると、ここはデブン寺で、創建は1416年(室町時代将軍は足利義持)、敷地は20万平方m。雪頓節は別名ヨーグルト祭というそうだ(6月30日から7月6日まで開かれる)。祭りの期間中ダライ・ラマ3世とダライ・ラマ4世の霊塔が公開されるという。そういえば我が家の客間にポタラ宮(1994年に世界遺産になる)でお土産に求めた「マニ車」(中にお経がある。値段は3000円ぐらい)が飾ってある。黄金樹さんの写真を見ていると心が休まる。もともとマンダラには崩れかかる心に安定をもたらすといわれているから当然かもしれない。
 霜田昭冶君の写真は4枚。「日の出に飛ぶ(山東・成山)」「夕映えの石舫(北京・頤和園)」「蓬莱・水城址(山東・蓬莱)」「白鳥の楽園(山東・成山)」である。北京・頤和園とは懐かしい。私たちは万寿山と呼んでいた。戦前、両親が北京の安定門近くの胡同に住んだことがある。休みに大連から帰省、北京の名所旧跡に遊びに行った。北海公園では冬、スケートをしたこともある。オリンピックを開いた北京はすっかり様変わりしたであろうが、夕映えの自然の美しさは人を欺かない。西大后が膨大な北洋艦隊の建造費をさいてまで再建した夏の離宮。石舫は石造の船形建造物、2層の楼閣の各階には大きな鏡がある。西大后はこの場所を好まれしばしば足を運ばれたという。鏡に映る夕映えを楽しまれたことであろう。蓬莱にある2台の砲台は珍しい。渤海湾に臨む蓬莱は昔,倭寇に狙われたらしい。その備えのための砲台が今に残る。私の手元にある資料では「倭寇は大陸で食料や軍需品を略奪したばかりでなく大陸の男女まで略取した。その男女は使役されたり転売されたりした。莫大な物資と交換して送還することも行われた。明徳4年(1393年)に筑前の大守大蔵忠佳が送還を行い、6月にも男女計3百名が送り返された。応永5年(1398年)には5百69名が送還されて、おびただしい代償が得られた」という。
 山東省成山で日の出を背景に白鳥が乱舞する写真は良いシャッターチャンスに恵まれたものだと感心していたら現地の警察署長が日の出時から白鳥のいる場所を熱心に案内してくれたという。この署長さんは写真愛好家で国際写真サロングランプリ保持者でもある。このような写真を通じての日中交流は素晴らしい。聞けば、黄金樹さんは昭和4年生まれで台北出身とか。私は丁度4歳で、この時期、父親の仕事の関係で台北にいた。何となく懐かしく感じ、会場を去りがたかった。