2009年(平成21年)2月1日号

No.421

銀座一丁目新聞

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茶説

オバマ大統領の就任演説と
アメリカの伝統に思う
 

牧念人 悠々

 バラク・オバマ米国大統領は世界中から歓迎されている。アメリカでは熱狂の坩堝であった。100年に一度の危機のさなか、オバマなら何とかしてくれるだろうという、その「チェンジ」に期待が大きいからであろう。オバマの大統領就任演説を読んだ。いろいろ考えさせられ教えられるところがあった。
 アメリカは今危機と混迷の中にいる。このような場合、「発想の転換」でなく「原点」に戻るのが賢明な選択である。オバマはいう。「我々国民が先人の理想と建国の宣誓に忠実であったおかげで前進することができた」。先人の理想とは、建国の宣言とはなにか。独立前の1763年以降イギリスは植民地アメリカに各種の重税をかけてきた。1765年の印紙条例反対運動では、ヴァージニアのパトリック・ヘンリーは植民地議会で「我々に自由を与えよ、さもなければ死を与えよ」と叫んだ。日本では板垣退助が明治15年4月6日、岐阜で暴漢に襲われた時このように叫んだと伝えられている。米国より117年後の出来事である。1775年に独立戦争がはじまり翌年、独立宣言する。イギリス軍と戦っている時ヤンキーたちは、なぜ自分たちが戦っているのか悩んだらしい。そのとき読まれた本がトマス・ペインの書いたパンフレット「コモン・センス」(1776年1月)であった。その本には「君たちは新しい世界を創りつつあるのだ」と書かれてあった。そこで彼らは自分たちの使命に気づいた。オバマは黒人初の大統領として国民とともに21世紀の初めに「新しい世界」を創ろうと勢い込んでいる。独立宣言の核は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって一定の奪い難い権利を与えられ、そのなかには生命、自由。及び幸福の追求が含まれていることをわれわれは自明の真理であると信じる」である。「たった60年前みなさんと同じレストランに入れなかったような父親を持つ男」は独立宣言のむなしい現実を肌で知っている。彼がアメリカの頂点に立ったからこそこの宣言の意義が増す。その当時の13の植民地をまとめるためにも共通の理念が必要という背景があったとしてもこの理念は民主主義国家の道標である。日本は敗戦後アメリカの占領下でこの理念の下再び日本が軍国主義国家にならないよう戦争放棄を定めた「新憲法」を成立させた。オバマが演説で言うように「我が国は戦争をしており、敵は膨大な暴力と憎しみのネットワークをもっている」の状況にある。そのアメリカ、国連からしばしば日本は国際協力を求められる。戦後64年間、戦死者を一人も出してこなかった日本には現在自由諸国対テログループの新しい型の戦争中である認識がない。「専守防衛」に動きが取れなくなっている。戦争をせよというのではない。世界経済大国2位の日本が国際協力の要請にもたもたしているわけにはいかない。イラクへの自衛隊の派遣にしても時間がかかった。当時の小泉首相に「自衛隊のいるところが安全地域である」と言わしめた。ソマリア沖の海賊対策にも武器使用を限定した「海上警備行動」で対処せざるを得ない状況にある。海賊退治は一種の戦闘である。生きるか死ぬかの戦いである。中国はすでに駆逐艦2隻、補給艦1隻を現地へ派遣、現在約20ヵ国の軍艦が参加している。
 「聖書は子供じみた行為は辞める時が来たと指摘している」という。テロ容疑者を収容するグアンタナモの米軍海軍基地の収容所を一年以内に閉鎖するのもよい。イラクからの段階的撤退もよい。聖書は「学びて確信したるところにつねにおれ」(テモテ後書三・十四)とも言う。前者の遺産はよくよく検討して実行に移せと教えている。オバマは選ばれた人である。「すべてのことについてよきわざの模範を示せ」(テスト書二・七)ともいわれている。
 「我々のためにボロボロになるまで犠牲を払って戦った人もいる。それはコンコード(米独立戦争)やゲティスバーク(南北戦争)、ノルマンディー(第二次大戦)やケサン(ベトナム戦争)で戦い死んだ人である」とオバマはいう。
 南北戦争にふれる。ゲティスバークでのリンカーンの「人民の人民による人民のための政治」という民主主義政治の基本原理を述べた演説はあまりにも有名だがこの戦いの悲惨さを日本人は知らない。戦争は4年間続いた。北軍の死者約36万人、南軍の死者約26万人合計62万人である。第一次大戦約11万人、第二次大戦約32万の戦死者を出している。比較にならない。奴隷解放をめぐって国が分裂して決着をつけねばならなかった戦争であった。日本はアメリカより古く3000年近い歴史を持つ。日本の政治家は会津(戊辰戦争)、黄海海戦(日清戦争)、旅順攻防戦・遼陽会戦(日露戦争)、沖縄戦・硫黄島戦(大東亜戦争)を語らない。話すのは侵略戦争と謝罪だけである。日本の将兵もボロボロになって国のために散華した。こんな話がある。昭和30年代の初め友人の柴田繁君が自衛隊に在職中、アメリカ・テキサスに留学した時の出来事である。ある米軍予備役機甲中尉の家を訪れた。2時間ほど雑談して帰ろうとした時、柴田君に親指ぐらいの大きさの赤く錆びた鉄片をお土産にと差し出した。彼は言う。「私は2千年の古い歴史を持つ日本の友人に、何を贈ろうかとつくづく考えました。あえてこの小さい鉄片を送ることにした。古い伝統を持つあなたなら、この鉄片の価値が分かってくれるでしょう。これは私の曽祖父が南北戦争に従軍した時に記念に取っておいてくれた北軍の砲弾の鉄片です。私どもの国の歴史はあなたの国に比べれば極めて若く、誇るべき伝統も少ない。私たちは私たちの祖先が残してくれた立派な行いを伝統として継承し、これを育てて子孫に伝えて行きたいと心から願っているのです。自分は現在、何をもって祖国に尽くすべきか、いかなる伝統を子孫に残すべきかを考えているのです」柴田君は思わず頭が下がったという。
 すでに50年も前にオバマ大統領と同じ志を持つ男がテキサスに存在したことは驚くべきことである。オバマはいう。「我々は決して国を守るということにためらいはない。罪のない人々を脅かし、殺害するような人々に宣言する。我々の意志の方が強くそれを曲げることができない。我々はあなたたちより長く生き、そして打ち負かす」
 さらに言う。「自由と偉大な贈り物を未来の世代に無事に届けたのだといわれるよう、希望と美徳をもって冷たい川の流れに勇気を持って立ち向かおう」
 今の日本では何人の政治家が冷たい川に立つ者がいるのだろうか。