2008年(平成20年)12月20日号

No.417

銀座一丁目新聞

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追悼録(333)

修復された福岡陸軍墓地とソ連の日本人墓地

 昭和天皇の御製
 「国のため いのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる」

 毎日新聞西部本社で一緒に仕事をした松尾礼次郎さんからの手紙によると、3年前福岡県西方沖地震で被災した福岡陸軍墓地(福岡市中央区谷公園内)がこのほど修復工事が完成し12月6日関係者が集まって墓前祭を開いたという。この陸軍墓地には日清、日露戦争から大東亜戦争で戦没した福岡県の関係者が11基の記念石碑に祭られている。このうち5基が西方沖地震で被災し大きく横ずれなどした。このため昨年3月、20団体が「陸軍墓地石碑修復改良委員会」(菅原道之委員長・陸士57期)を設立し募金活動を始め、郷友連盟、偕行社、遺族会、正しい歴史を考える会、日本会議福岡などの協賛団体の協力で千百万円の浄財が集まった。修復工事が大変だった。被災した石碑がそれぞれ高さ10メートル、重さ10トンを超えるものばかりである。大型工作機械を搬入しての大作業となった。浸水被害にあった納骨室の整理も余儀なくされた。骨つぼから少量の骨や遺髪、ボロボロの写真、階級章も出てきた。骨つぼのサビを削り落して天眼鏡でひとつずつ名前を確認した。動員された作業人員2百数10人、2年がかりの修復作業で福岡の歩兵24連隊からノモンハン事件やガダルカナル作戦へ派遣されて戦死した数も判明し、合祀者は1万3千6百29柱と確認された。菅原委員長は「多くの戦争犠牲者のおかげで今日の平和が構築されたことは、歴史的な事実であり、生き残った我々が遺霊顕彰と平和の誓いを継承することは当然の義務だと思う」と語っている(12月5日毎日新聞西部版広告より)。
 「追悼のシベリア巡礼秋深し」(石井豊喜・陸士56期)
 最近、石井豊喜著「新たにシベリア抑留と大テロルを問う」(日本文学館刊2008年11月1日発行)を読んだ。石井さんは満州四平街の独立戦車第5旅団で敗戦を迎え4年間にわたりシベリアに抑留され、タイシェト収容所でバム鉄道の建設に従事する。同書によればソ連抑留者数は64万人が正確に近い数値であろうという。ソ連領土のラーゲリで死亡した日本人死亡者は6万1855人(軍事歴史雑誌1991年第4号)。抑留死亡者の遺礼が行われた御遺骨の総数は約1万5千柱という。とすれば残り4万6千余の英霊がシベリアにいまだにさまよっていることになる。さらに、せっかく建てた慰霊碑のなかにはその銘版がはがされ敷地を区切った杭が傾き、鉄の鎖が引き千切られ無残な姿になっているところもあるという。著者は日本政府にロシア側と交渉してロシアの地方行政当局が日本墓地管理の責任を引き継ぐように要請すべきではないだろうかと要望している。
 日本とロシアはいまだに「戦争状態」にある。平和条約がまだ締結されていないからである。日露友好親善のために早く「平和条約」を締結すべきである。
 石井さんは平成15年8月、シベリア墓参団の一員として慰霊祭で「慰霊の言葉」を述べた。「運命とは言え、シベリアの地で亡くなられた皆様方は、母国の地を踏むことなく無念の涙を流されたことでしょう。また、苦しかったことでしょう。かって同僚であった私どもは痛惜の念に堪えず、深い悲しみを覚えます。しかし戦後ロシアのために働いてシベリア発展のために貢献されたことは歴史的事実です」
 この心情あふれる石井さんの気持ちが報われるのはいつの日か。早からんことを祈るのみである。
 

(柳 路夫)