2008年(平成20年)11月10日号

No.413

銀座一丁目新聞

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花ある風景(328)

並木 徹

鶴屋南北の世界と日本の世相

 鶴屋南北原作・前進座公演の「解脱衣楓累」(げだつのきぬもみじがさね)を見る(10月15日・東京吉祥寺前進座劇場)。鶴屋南北が書いてから172年の時間が たって、発掘された話題作。破戒僧空月(もと鞠子家中・中島田佐近の倅)は見果てぬ野望に溺れ、お吉の魂はさ迷い胡蝶となり舞う舞台に観客は酔いしれる。劇場の外では株の暴落を嘆き、年金の杜撰な管理に怒りがおさまらない。地方で二億円宝くじ殺人が起きれば、都会では脳出血の妊産婦の病院の受け入れ拒否で一人の女性が死ぬ。まさに人は怒り嘆き、人心は荒廃する。この世相に南北は「昔も今もそうかわらない。世の中は面白いね」とでもいうであろうか。
 舞台を注視する。ここは鎌倉放山。古びた辻堂に旅人が雨宿りする。破戒僧、鎌倉燈明寺の空月(嵐圭史)が花道から姿を見せる。後を追うように龍田川の浴衣に花笠を手にしたお吉(河原崎国太郎)が現れる。空月からの縁切り状にあわてて駆け付けて懐胎を告げる。約束が守られないなら自害するという。差し出した短刀は許嫁の証に親から贈られた「南無阿弥陀仏」の銘のある宝刀。死をとめようとする弾みにお吉を誤って刺してしまう。空月も死を覚悟してお吉の首を切り、あとを追 おうとしたところへ折から雷雨と落雷…空月の気持ちが変わる。
 南北の道具立てが揃う。短刀は出家・侍両道の栄達への手がかり。切り首から舞う胡蝶はお吉の化身、空月にまとわりつく。辻堂の中には正義の男・古鉄買いの羽生屋助七(嵐広也)がいた。かくて舞台は空月・お吉。累(お吉の妹・河原崎国太郎二役)・夫の百姓与右衛門(藤川矢之輔)。小三(与右衛門の妹・金五郎の妻・生島喜五郎)・金谷金五郎(お吉弟・瀬川菊之丞)の三組の男女の話が幾 重にも絡み合って三幕六場と展開する。
 見ように見れば空月が一番正直な生き方なのかもしれない。性のままの振る舞いをしているにすぎない。お吉の生首を厨子にいれて持ち運ぶ。愛した女が捨てきれないのだ。お吉と瓜二つの累を見れば「面目ないが、こらえられぬ」とかきくどく。最後の場面で助七に追いつめられると「助けてくれ」と哀願する。世間ではこのような人物を「悪人」と呼ぶ。舞台に舞う胡蝶を見ながら和泉式部の「物思えば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る」を思い出す。舞台の蝶は式部の蛍と違って物怪となって空月を苦しめる。短刀は30センチ(一尺)以下の短いものをいうがこの短刀がこの舞台では重要な役割を負わされている。銘を「南無阿弥陀仏」とはよくつけたものだ。この6文字を唱えると極楽に往生できるというが現実は必ずしもそうではない。この短刀でお吉は落命、妹の累は足に怪我をして不自由になる。お吉の弟、浪人者の金谷金五郎は藩主の姫君の婚礼の祝いに差し出せば帰参がかなうという。累は助七の売る鏡と取り換える。最後は助七から遠州中山藩家中菊川帯刀の妻小夜風にわたり、空月を追い詰める。お吉の霊は累に乗り移り、恨み言を述べ立てて、空月にむしゃぶりつく。厨子から取り出したお吉の生首の目を簪で突くと累の左目から血が流れる・・・与右衛門は与右衛門でお吉が乗り移った累を殴りける。累は累でお吉の腹から生まれた赤ん坊を川に投げ込む。人間の怨念のすさまじさを地獄絵さなからに繰り広げる。この世に怨念を残して死んでいった人間の物怪は物分かりの良い好人物も貞淑な女性も物怪の世界へ巻き込む。地獄と極楽はほんの紙一重なのであろう。思わず「南無阿弥陀仏」と唱える。所詮、人間は弱きものか。南無阿弥陀仏・・・・