2008年(平成20年)10月20日号

No.411

銀座一丁目新聞

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山と私

(49)
国分 リン

−イイデリンドウとヒナウスユキソウ咲く「飯豊本山」

 2年前朝日連峰にヒメサユリとウスユキソウを求めて、スポニチ登山学校の講師の鈴木先生にお願いして素晴しい花の群落に出会えた。その感動で今度は山深い飯豊連峰の紅葉時期にと鈴木先生に依頼し、9月20日から3泊4日の予定で実現した。折からの台風が太平洋側へ抜け、勇んで私の故郷、会津野沢から弥平四郎部落を抜け登山口までタクシーで入り、初日の宿 祓川避難小屋へ着いたのは2時半であった。大きなブナ林に囲まれ、栃の木も腕の長さより太く、時々ポトンと実を落とす。よく見ると多くの栃の実が落ちていた。
 会津弁で「今日はよぐこらったがら山形自慢の芋煮だ、食ってくなんしょ。」
先生の60gのザックと私たちの力では持てない重さのサブ袋から続々材料が出てきた。重い里芋が4袋、コンニャク、豆腐、ゴボー、葱、牛肉、だし醤油、酒、平茸、舞茸、「これを忘れてはいけないですよ、ナメコは絶対必要です。」それに毎日これからお世話になる大きな鍋、七味まで準備されている。山形名物の芋煮の順番を教えられ、皆メモを取り家で必ず作ろうと話す。夕方5時には出来上がり、先生が担いでくれたビールで乾杯。芋煮は絶品のご馳走だ。先生に感謝である。今夜は私たち仲間4人と先生の5人だけである。翌朝4時半起きの長い行程なので、7時にはシェラフに入り寝付いた。

 9月21日(日)夜半雨の音で目が覚め、気を取り直し、期待して起きたが、雨が時折強くなったり、弱くなったりの連続で、鈴木先生は「コースの変更をしますが仕方ないですね。今日は飯豊本山小屋泊の予定ですが、無理をしないで皆様の体調次第で行ける所までとします。」標高差1200m、雨具を着け、2時間遅れで出発。大きなブナ林の続く道をひたすら登る。適度な斜面で歩きやすい。周囲がいつの間にかダケカンバの白く太い樹木に変わった。ゆっくりペースで9時に松平峠へ着いたが、相変らず景色は何も見えず、でも足元にウメバチソウの白い花が咲いていた。花を見ると気持ちが救われ元気になる。地図に主稜が一望できる疣岩山とあったが、残念何もみえない。仲間のUさんがいつもの元気が無いのを心配しながらゆっくり歩く。景色が見えないので気が紛れず、ただひたすらアップダウンの繰り返しながら、高度を稼ぎ尾根に出た。薄紫の可憐なマツムシソウを見つけた。花の終った株の群落があり、最盛期は一面ねなどと話しながら登る。先生が「小屋の屋根が見えますよ。後200歩」と励ましてくれ、三国小屋へ12時到着。まだ新築3年目の小屋で木の香りがする。20人位の登山者が昼食を摂っていた。霧雨が降っていた。「今日は無理をしないでここまでにしましょう。切合小屋は混みそうですし、雨の中の鎖場はキケンです。」天気予報では明日は晴れると他の登山者から聞き、明日に期待した。すぐ水場へ汲みに行くのでペットボトルや全ての水筒類を準備し、先生の後に従った。なんと剣が峰の岩場の下に水場があり、先生はトットと先に行ってしまい、私とYさんは恐る恐る慎重に下り、やっと水場へ到着。先生は全部へ水を汲み、おまけに大きな鍋に水をたっぷり入れ、両手に持ち、お先です。とひょいひょい水を一滴もこぼさずに、身軽に行ってしまった。残された私たちは道を間違え岩を登ったら違うと先生が駆け下りてきた。安心したが、つい先ほど降りた道を間違えるとは、我ながら呆れた。
4時から夕食の準備、先生お得意の「引きずりうどん」重いうどんを担いで,温かいものをご馳走してくださる先生に感謝。美味しかった。夕方からガスが晴れ、大日岳・飯豊本山・朝日・磐梯山・吾妻が見えると先生に教えられ感激。喜多方の灯りに胸が熱くなった。

 9月22日(月) 夜中の雨と風の音に目が覚め、4時半に起きたが、「風が強く危ないので、ゆっくり出発に変更します。雨で縦走は無理です。飯豊本山まで登り、本山小屋で泊まりそこからダイクラ尾根を下り山形小国の飯豊山荘へ降りましょう。」の先生の声でもう一眠り。三国小屋は私たち5人と、1階に靴が故障した二人の男性だけでひっそりしていた。6時過ぎに朝食を食べ、準備をして出発と下に降りたらもう誰もいなかった。雨が小降りになりいよいよ飯豊本山を目指す。鎖場になり必死に登ると、先生が数年前この鎖場で滑落して亡くなった女性を担いで三国小屋まで運んだ話を聞いて皆驚き、気を引き締めた。
種蒔山(1791m)を越え草履塚(1908m)を過ぎ切合小屋で休憩、この天気でもう小屋を閉める準備をして昨日は混み合ったと話していた。私たちはラッキーだと先生に感謝した。姥権現で休憩、小さい動物を見つけ、目を凝らすと「オコジョ」がちょこちょこ、野うさぎが走り去った。無事を祈り、御秘所の岩場を慎重に辿り、ジグザグの登りを地図で見ると御前坂と名前が付けられ、先生が「あの石を積んだ所が、一ノ王子、テント場と水場、あの石垣が本山小屋です。」の説明を聞きながら13時半飯豊山神社に到着し、お参りをして小屋の中へ、広島のグループが2階に13人先着し、荷物を置き大日岳を目指しているという。小屋番のおじさんと先生は知り合いで何かと便宜を図って頂き感謝する。このおじさんは折角担いで登ってきたものを絶対私は貰わない主義と、会津もっこすで頑固である。折から太陽が出て周りの景色が見え出し、主領線の広がりも大日岳もよく見える。先生を誘い飯豊本山(2105,1m)の三角点を目指し登る。途中イイデリンドウの花を見つけ皆で大喜び。周囲を見渡すとクロウスゴ(ブルーベリーの仲間)が紅葉し、光に赤く輝く。蓼の葉は黄色に山は色付いていた。山座指定を教えられ朝日・蔵王と日本海を望むことが出来、感激である。
 最後のディナーは大きなキャベツ1個を芯まで使い切り、生サラミの味の焼きそばをあの鍋でたっぷり先生が作り、ここまで担いでくれたビールで乾杯。毎晩の献立とここまで担いで料理してくれた先生に皆で感謝した。さすがメインの山小屋で40人、夜中、大合唱に悩まされた。
 
 9月23日(火)「今度は大日岳へ来なさい。ダイクラ尾根は気をつけて。」おじさんにジュースやエネルギー入りのゼリーを貰い、見送られて5時30分出発。朝霧の中飯豊本山頂上へ、周りは何も見えずやはり昨日登っておいてよかった。いよいよ下山、先生の説明では8時間もあれば降りられますよを鵜呑みにあまり踏み跡がない道を降りた。最初のがれ場はなんとホソバヒナウスユキソウの群落地帯であった。まだ花が残っていて皆歓声を上げた。宝珠山の岩場をゆっくり慎重に歩く。岩場が弱いYさんを終始先生が誘導した。とにかく一歩も気を休めて歩けない道で、片側が切れ落ちている。後を振り返ると飯豊山も宝珠山もはるか彼方、山の深さを知る。アップダウンを繰り返し、中々標高が下がらない。休憩のおり、地図を広げよくよく見ると長丁場で上級者コース、でも今更戻れず降りるしかないと、皆で覚悟を決める。休み場の峰・種蒔きの池から急坂が続く道を必死で降り、吊橋を渡る。ゆっくり景色を眺める余裕もなくただひたすら降りる。やっと林道に到着したのは16時、飯豊山荘へは16時30分到着。なんと行程が11時間もかかった。皆よくがんばった。温泉に浸かりやっと下山できたのを実感できた。
 
 3度目の飯豊、それぞれに時期もコースも違うが、アルプスと違う山の魅力を持ち、標高が低いながら山は大きく、何といっても私は故郷のこの山が好きなのだということを知った。