2008年(平成20年)10月10日号

No.410

銀座一丁目新聞

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追悼録(326)

土屋義彦さんは国際親善に努力された

 亡くなった元参院議長で元埼玉県知事の土屋義彦さんは非常な国際親善家であった(10月5日死去、享年82歳)。土屋さんは小さな国々の親善・友好協会の会長を務めておられる。日本アイスランド協会も平成2年(1990年)10月設立以来名誉会長である(当時会長は作家の渡辺淳一さん・現在の会長は脇田巧彦さん)。土屋さんはその時、参院議長であったが快く引き受けていただいた。アイスランドとは既に関わりがあった。昭和59年(1984年)、東京大学からアイスランドに派遣されていた地質調査員が川に落ちて死亡する事故があった。この時、地元の人達が川に入って遺体を捜索してくれた。このことを知って一度お礼したいと思っていた土屋さんは東独への帰りアイスランドに立ち寄った。そこで有馬朗人東大学長から預かって来た感謝状を女性大統領ヴィグディス・フィンボガドッティルさんに手渡した。ヴィグディス大統領は「日本の国会議員でこうして来てくれたのはあなたが初めてだ」と感激された。このことがあって両国の友好議員連盟ができた。
 土屋さんが海外の人と積極的に交流しだしたのは防衛政務次官の時である。各国の外交官や駐在武官を機会あるごとに埼玉県春日部の自宅や埼玉県の名所へ案内した。一部から非難する向きもあったが続けた。その人達がやがてその国の中枢についたり、外交面での重要ポストに座ったりしたので各国のトップや要人達のつきあいにつながった。このような地道な努力をする人が少ないのは残念なことである。
 平成2年ヴィグディス大統領が来日された際、土屋さんは大統領のために議長公邸で歓迎の小宴を開いてくれた。衆院議長櫻内義雄さんも同席された。ざっくばらんな土屋さんは 櫻内さんときわどい話をして通訳を困らせたこともあった。この調子で国際親善を深められたのだと思う。外国の方達からも好かれたのであろう。こんな話がある。平成6年(1994年)9月、来日したガリ国連事務総長は成田に着いたその日に土屋さんと真っ先に会っている。日本の国連安保常任理事国入りの問題が政治的にデリケートになっている時期であった。当時の村山富市首相より先に埼玉県知事に会うのはまず考えられないことだ。ガリさんはアイスランドやニカラグアの大統領から「日本へ行ったら土屋に会え」とアドバイスされて楽しみにしていたと言うから面白い。
 土屋さんはただの人ではない。平成3年(1991年)1月参院議長としてソ連を訪問したときの話である。ルキヤノフ最高会議議長の招待にもかかわらず土屋参院議長にゴルバチョフ大統領が「時間がないからあえない」と言う。元首が会うのが外交上の儀礼である。土屋さんは怒った。「これは国際ルール違反である。ゴルバチョフ大統領が来日して国会で演説しても我が参議院の議員は入場しません。また日本に帰って反ソ運動を展開します」と大統領府の儀典長にぶつけた。会見が実現したのは言うまでもない。超党派の参議院議員団での訪ソであった。野党の人達も土屋さんを見直し、激賞したという。「外交は気合いだ」というのが土屋さんの口癖である。
 日本アイスランド協会の会合には時間の都合がつく限り顔を見せてくれた。パーティーでの挨拶は常に体験に裏打ちされた含蓄のあるものであった。その運営には土屋さんの存在が大きかった。今さらながら感謝する。心からご冥福をお祈りする。

(柳 路夫)