2008年(平成20年)3月20日号

No.390

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茶説

民主政治とはこんなものなのか

牧念人 悠々

  民主主義とはいったい何かと考えつつ次のようなブログを書いた(3月18日)。
「中国、温家宝首相(65)の元に李克強(52)を筆頭副首相に据え2期目の新政府を発足させる。これで4年後は15日に国家副主席になった習近平(54)が国家出席、李克強が首相となる道筋ができた。見事というほかない。
これに比べて日本の政治状況は混とんとしている。今年の12月1日現在、日本の首相がだれか言い当てるることのできる人は立派な政治センスの持主である。
後任の日銀総裁問題のもたもたぶりは一体どうしたことか。日本の政治機能は「不全」それと「もたもた」が常態か。民主主義というのはこういうものであろう。
それが嫌なら独裁国家を選ぶか。
あわてるな、日銀総裁問題には十分時間をかけろ。当分は新任されたばかりの副総裁の代行で行け。それが民主主義だ」
 案の定、日銀総裁は当分空席のまま、先に副総裁就任が決まった白川方明京大大学院教授が代行することになる。新聞の見出しは「政治の迷走を憂う」「政治の機能不全きわまる」と大げさである。日本は民主主義の国である。万事に多数決がまかり通る。日本の政治家は「多数を取ったら何をやってもかまわない」と思いこんでいる節がある。その歴史は古い。今から59年前の昭和24年戦後初めて国会に絶対多数を取った第3次吉田内閣以来議会で与野党の激突が起きるたびに論じられてきた。今は衆議院で自民党が、参議院で民衆党はじめ野党が絶対多数をとり、「民意は我が方にあり」と好き勝手なことをする。日本の民主政治は時に「機能不全」に陥り、時に「迷走」する。これが常態である。
とりわけ人事問題など反対するにはどのような理由もつく。総裁候補に挙げられ不同意となった武藤俊郎日銀副総裁、同じく田波耕治国際協力銀行総裁にしても事務次官(財務省と旧大蔵省)経験者であったこと、「金融財政分離」の建前から不適当というのはいかがなものか。その人の手腕・実力を考えるのか筋というものであろう。
ともかく民主党に考えてほしい。急激な円高・株安に懸念が広がる中、日銀総裁を空席にする愚かさを悟るべきだ。世界的な金融市場が混乱する時、国際的信用も失墜する。すでにあきれているであろう。
民主主義の多数決原理は「何でも出来る」と言うことではないのではないか。「多数の暴挙」はまず謙虚さを忘れたことからくる。自党のおごり、独善を審議の中で反省する要がある。少数意見の尊重も大事である。党利党略は論外である。今回の総裁候補不同意は党利党略の何ものでもない。
日本の民主主義はまだ十分に根づいていない。残念ながら自民党と民主党が「君子の争い」をするような成熟した状態にはない。イギリスの話だが、24歳で首相になった小ピット(名宰相といわれたチャタム伯爵・大ピットの息子)はある人に「総理大臣の第一の資格は何か」と問われて「明晰な頭脳でもない。もちろん、勇気でも努力でもない。それは忍耐であり、忍耐である」と答えたという。この言葉を今の日本の総理大臣に捧げる。

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