2008年(平成20年)2月20日号

No.387

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花ある風景(302)

並木 徹

井上ひさしの「人間合格」を見る

  作・井上ひさし、演出・鵜山仁、こまつ座の「人間合格」を見る(2月15日、3月16日まで東京新宿・紀伊国屋サザンシアターで公演)。5年前に上演された際に、拝見したので2度目である。今回は「これでいいのか」という言葉が胸に刺さる。
 「これでいいのか」「物価は上がる」「給料は下がる」「長屋のおかずは今夜も油げだ」「お屋敷は今夜もエビの天麩羅だ」現代風にいえば「これでいいのか」「都市と地方の格差は広がるばかりだ」「産地偽装の食品ばかりだ」いつの時代も虐げられるのは弱き庶民だけだ。「これでいいのか」。
 物語は太宰治こと津島修治(岡本健一)佐藤浩蔵(山西惇)山田定一(甲本雅祐)中北芳吉(辻萬長)青木ふみほか七役(田根楽子)チェリー旗ほか七役(馬淵英俚可)の6人の役者で展開してゆく。時代は昭和5年4月下旬太宰が弘前高校から東大仏文科の学生になったときから始まる。工藤永蔵に勧められて共産党のシンパとなる。この工藤が佐藤のモデルのようだ。工藤は弘前高校の先輩で東大は理学部地質学科に在籍していた。太宰治が小菅銀吉のペンネームで豊多摩刑務所に収監されている工藤宛の手紙が残されている。工藤への慰問文だが、「工藤抜きにしては太宰が左翼運動でどんなに苦しみつらい思いをしたか語ることはできない」という(平岡敏男著「めぐりあい」・自費出版)。小説「人間失格」に「逃げました。逃げて、さすがに、いい気持ちはせず、死ぬことにしました」と書いた太宰の気持ちがわかると平岡さんは言う。
 第二幕六「惜別」に出てくる津島修治が語る「小さな宝石の話」は絶品である。凶悪犯が吹雪の晩、森へ逃げ込んだ。樵の小屋の灯りが見える。食べ物をとってやろう、ストーブにあったまってやろう、そう思って窓から中を覗き込む。樵の夫婦と小さな女の子がつつましくも仕合せな晩御飯の最中だ、凶悪犯の心の中に「邪魔しちゃ悪い」という思いがわく、彼はそっと窓から離れ…、あくる朝、森の奥で凍死体となっていた。文学の仕事とはそういう小さな宝石探しだと、魯迅はこの仙台で考えたというのだ。日露戦争のさなかなのことである。今の凶悪犯にこの小さな宝石ありやなしや・・・
 やがて敗戦となる。みな民主主義を謳歌する。その資格があるのは15年間「人間はみな同じ。万人平等」と信じ、地下活動してきた佐藤だけだと津島修治は怒る。戦時中、軍国少年であった私には返す言葉もない。復員の日、生徒隊長は「喜びて生き恥をさらすことに甘んじ、日本の将来のために懸命の祈願と無言の奮闘とに生くべし」と諭した。かくて生き恥をさらして63年がたつ。私の後輩の徳岡孝夫は「民主主義を疑え」(新潮社・2008年2月15日刊)の一書を出した。そこで徳岡は「人は何のために生きるか、常に考えよ」と問う。本を購入した日と芝居を見た日が同じであったとは私の運はまだ尽きていないようである。

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