1998年(平成10年)7月20日(旬刊)

No.46

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (12)

目黒 ゴン太

 学校へ行くのにも、バイトへ行くのにも、どこかへ遊びに行く時も、大体、自分は、電車を利用する。その際、誰か友人や知り合いと一緒に居たならば、別なのだが、大概の場合、一人で乗っている。それは、何を意味するかと言えば、暇の極致にあることを意味する。本を読んだり、寝たりすることで、退屈な一時から逃れようとするが、大抵の場合、混んでいて座れないので、それすらできない。そこで、いいタイミングで、目の中に飛び込んでくるのが、様々な種類の中吊り広告だ。

 大学案内、英語学校、食品飲料水、電話、電気関連商品等など、数え切れない程の多種多様のものが有る中で、自分の最近一番興味引く広告は、雑誌の広告である。一言に雑誌と言っても、今は、様々な分野の専門誌として出ており、その数は膨大なものだが、その雑誌の中でも、特に世相、政治を切るもの、昔から老舗的存在のものによく目を奪われるのだ。

 何故、上述の雑誌広告に目が行くか、それは、最近、それらの雑誌が掲げる見出しの中で多い、というか流行っている、〇〇症候群や〇〇病と名打って、現代人が現代社会の中で抱えることとなってしまった精神的、そして悪化すれば身体的にも影響を及ぼしかねないものを取り挙げているからである。しかし、それらが本当に存在するのか、自分は少し疑問を抱いて見ている。確かに、雑誌に限らず自分達の周りには、昔には聞かれなかった精神的な病が数多く出てきたとされ、又、現代の不安定な精神的なつながりの社会の中で、人口の大多数が何らかの精神的な病を抱えているとまで言われていることは知っている。しかし、最近の雑誌は、自分達で勝手に〇〇病として、挙げ句の果てには、「私達は、これを現代病の一つとして提唱する次第である。」などとして、どう見ても、読者の心の中の恐怖心を煽って、購買欲を上げる目的としか思えないような陳腐な問題提起にしかすぎないものが余りにも多いと思う。本当にたくさんの雑誌が、同じ様なTOPICを扱っていて、その中でしのぎを削って競争を続けるのは、とても大変だとは思うが、本当に日本の今、世相を切るならば、自身の腐った報道社会にも目を向け、それらを冷静な目で批判するものが一つぐらいでてきてもいいのではないかと思う。少なくとも、自分は、そんな雑誌が有ったら買うだろうなあと、身動きが取れず前のおばさんの髪が顔に当たる程混み合った車内で考えたのだ。

 

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