1998年(平成10年)7月10日(旬刊)

No.45

銀座一丁目新聞

 

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茶説

三浦裁判、無罪判決に思う

牧念人 悠々

 三浦和義被告が東京高裁の判決で無罪となった。「銃撃を実行した共犯者が全く解明されておらず、肝心の点で立証が欠落している」と判決理由で指摘しているように、高裁は「疑がわしきは被告の利益に」という刑事事件裁判の原則を貫いた。当然の判決といえよう。

 一面、自白も物証もなく状況証拠だけで積み上げたのでは、事件の本質に限りなく近づいたといえるのにすぎない。自白が得られない殺人事件、密室での収賄事件裁判の難しさがここにある。

 今回の無罪判決により、一連の三浦事件報道に対して、マスコミ関係にも「有罪」を言い渡されたものだとの識者の批判があった。

 しかし、裁判と報道はその使命もあり方も異なる。マスコミは納得のいかない、おかしな事件がおきれば、警察が動かなくても、報道しなければならない。

 昨今の新聞は、警察が捜査しないと全く報道しない。その意味で、三浦事件を1984年「疑惑の銃弾」とのタイトルで連載した週刊文春の調査報道には敬意を表するとともに賛辞をあらためて送りたい。

 週刊文春も三浦さんから名誉毀損で損害賠償請求の訴えを起こされた。同誌の連載記事は、三浦被告を殺人者として告発したものではなく、一美さん銃撃事件、白石千鶴子さん失踪事件の真相を誰よりも正確に知り得る立場にあった三浦被告に、真実を語るよう問いかけたものであった。しかしこれに対する三浦被告の対応は、週刊文春編集部や読者を納得させるものでなく、逆に疑惑をいっそう募らせるものであった。(文藝春秋社長室長、雨宮秀爾さんコメントより)

 この訴えは、1996年の民事判決で「真実と信じたことに相当性がある」として三浦さんが敗訴した。

 マスコミは真実を追究するために、時には名誉毀損を恐れず、報道つづけねばならない。たとえば、オウム真理教事件をみるがいい。坂本弁護士一家殺害事件をはじめ新聞は坂本弁護士一家失踪事件として、拉致・行方不明事件とはいわなかった。つまり、本人の意思で姿をくらしましたことも考えられるという。訴訟をたくさん抱えている弁護士が、しかも家族もろとも行方がわからなくなている。異常というほかない。しかも現場には教団のバッジが落ちていた。坂本さんは「オウム真理教被害者の会」の中心的役割をも果たしていた。最悪の事態を考えれば、オウム心理教を究明すべきであった。徹底した調査報道に乗り出すべきであった。巧妙に仕組まれた犯罪には、マスコミはそれなりの覚悟を持って望まねばならない。そうゆう時代になっている。

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