2007年(平成19年)6月10号

No.362

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追悼録(278)

人生に余白ありて日向ぽこ

 今年の2月1日号の「花ある風景」で取り上げた同期生川口久男君が死んだ(4月21日)。心からご冥福を祈る。田中長君から見せてもらった川口君の句集「旅のあかしに」に感銘、私の心に響いた11句を紹介した。今にして思えば死を覚悟して句帖から60句を選び、備忘録も加え後の人に残そうとしたものと察せられる。読み返してみても見出しの「人生に・・・」の句や「詩を生みしこうぼうむぎも枯れ果たし」 「乱舞又乱舞幾度帰燕の日」など人生を達観したようなところがある。敗戦後非業の死を遂げた父のこともふれている。川口君が同期生とともに満州西部ホロンバイルで司令部偵察機の操縦訓練中、当時満州国皇帝「溥儀〕の護衛責任者であった父親が休みを取って訪ねている。それが父親との最期の別れとなった。父は敗戦の翌年1946年2月3日中国内戦の中で49歳の幕を閉じた。大阪幼年学校,陸士に学んだ川口君が父と暮らしたのは僅か8年であったという。
2月13日の日付の田中君宛ての手紙によれば川口君は1月9日高槻の日赤病院に入院、1月19日に膀胱全部を摘出、2月1日再手術をして血濃などを除去する.田中君が送った「花ある風景」の記事には「私の人生に又一つの綾を織ってくださったことに感謝する」とあった。俳句が6句あった。絶筆の句かもしれない。

 早春はまずバラ色に空を染めて(田中君宛ての手紙の書き出しにあった句)
 猪鍋で励まされ明日入院す
 温暖化憂ひつつ冬ぬくき日々
 大寒も立春もなく病み臥して
 病む窓へ冬の半月漕ぎ出しぬ
 冬銀河地に灯の川のハイウエイ

「やっと句心も帰ってきました。皆さんの激励で又息を吹き返したように思っています」と記す。手紙を出してから2ヵ月余であっけなくこの世去った。享年81歳であった。

 句友逝く絆固し春四月  悠々。

(柳 路夫)

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