2007年(平成19年)5月10号

No.359

銀座一丁目新聞

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山と私

(32)
国分 リン

−登れた! 雪山 奥穂高岳−

 奥穂高岳(3190m)の頂に到着。太陽がさんさんと降りそそぎ念願だった360度の展望に、興奮の極地に陥った私である。白いベールをまとい鋭い北穂や前穂三角錐の笠ヶ岳や西穂から独標の素晴らしい山並みの連なりである。この景色と達成感が辛さを忘れさせ山へまた登らせる理由である。
 
 4月初旬にスポニチ登山学校仲間のM氏ご夫妻からガイド登山で奥穂高岳へのお誘いがあり、雪山と体力面の不安ながら、M氏の勧めなら安心と決断した。        天気予報もまずまずで5月3日スポニチ仲間のYさんとM夫妻と4人で上高地入りをした。この時期の上高地はまだ雪が残り、梓川の柳も小梨もやっと目覚めたようである。でも相変らずの上高地人気で大賑わいである。予約済みの西糸屋山荘の別館に落ち着く。この連休中ニコンのデジカメ写真講座がこの宿で開催されD80の一眼レフカメラが50台準備されていた。凄い宣伝力と実地の説得力に、私達も講義を受け、デジカメの良さを納得できた。
 
 5月4日(晴)いよいよ登山開始、8時にガイドのS氏と合流して明神・徳沢・横尾で昼食をとり横尾大橋を渡り山道へ、横尾谷を左にいよいよ樹林帯を進む。
30分ほど登ると雪道になるが、春のざくざくの雪は滑らず登る。13時20分に
本谷橋へ到着。夏とは大違いで皆橋の下の雪で休憩を取り、アイゼンを靴に付けこれからの登りに備えた。真っ白な雪の世界に点々と登山者の列、大きな自然に対して人間のなんと小さなこと、涸沢ヒュッテの鯉のぼりが見えたのは15時である。時折山へ一筋の光が差し幻想的な光景に、シャッターを押す。もう直ぐ、でもここから先の登りのきつかったこと。あえぎあえぎ一歩ずつ16時にやっと涸沢小屋へ着いた。この日は一枚の寝具に2人の混雑ぶりながらガイドの機転で個室が準備されていた。夕食後テラスで北尾根の頭の夕日に輝く姿を待ち構えたが残念ながら雲が厚く断念した。ガイドによる明日の持参する荷物チェックは、楽しく登るために大変参考になる。

 5月5日(晴)7時にガイドとYさんKさんと私がアンザイレン、初めての経験である。ガイドがもしもの滑落時に支えられるのは3人まで、その訓練もされ安心して登ってくださいとのこと。後から知ったが、女性3人のためM氏は登らない決断。実は北穂へカメラを持ち思い出の写真を撮りに登られた。この配慮に感謝である。雪の登山ルートは一直線のようである。ピッケルとアンザイレン、ガイドさんの適切な指示に、ザイテングラードの急斜面も難なく登れ、9時半に雪に埋まった穂高山荘に着いた。スタッフが屋根の雪下ろしをし、除雪機がフル活動している。Yさんがこの先はパスとのことで、悩んだ末に登ろうと決断した。リーダーのSガイドに命を預け、最初の難関の雪が張り付いた岩場や、鉄梯子を登り奥穂高の頂きが見える尾根に着いた時、Kさんがもういいかなと、Sガイドがすかさずもう眼の前だよ後悔するよと、一緒に登る。顔を冷たい風が容赦なく、目出帽を着ける。暖かい。声を掛け合いながら奥穂高岳の祠へ11時に到着。胸が一杯で、思わずKさんと握手。前回の時は雨の中亡き友Fさんと握手をしたことが頭をよぎった。記念撮影をして下る。より慎重にSガイドが支えるからロープを張れと、後から張っていれば瞬間に支えられ流れないとのことと判る。穂高山荘で待つYさんがよかったねと迎えてくれた。一緒だったら尚嬉しいのにと言ったら私はまたいつでも主人と体調の良い時に登れるからの声に励まされた。下りは誰も踏み跡のない真っ白な雪面を我々の足跡を付け快調に涸沢小屋へ13時50分着。出迎えのM氏に思わず駆け寄り握手、感謝である。 小屋は昨日と違いひっそりテントも数張りしかない。天気の下降で皆早めに下山したようである。
 
 5月6日(雨)夜半小雪が降り、雨に変わり本降りとなった。雪崩の音を聞き十分注意して早足で下山。ずぶ濡れで上高地の温泉にゆっくり浸かり人心地になる。タクシーで松本駅まで直行した。ゆっくり皆とこの山行を反省し、感謝しながら乾杯をした。
 
 雪山は天候と雪の状態で常に危険が伴うものと思うが、今回はいろいろと勉強し、参考になった。M氏のように常に訓練し体力を落とさず、長く山へ登りたい。

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