2007年(平成19年)4月1号

No.355

銀座一丁目新聞

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山と私

(31)
国分 リン

−冬山 八ヶ岳・硫黄岳に挑戦−

 激しい地吹雪のため、雪原は雪煙で覆われていたという。しかし、雪煙は地面から吹き上げられたものだったので、風がやむとびっくりするほど遠くが見えることがあった。突然現れた山容を認め、神田大尉が言った。「見ろ、あれは八甲田山の前岳だ」(新田次郎『八甲田山死の彷徨』新潮社)14日青森市の八甲田山系の前岳で、山スキーツアーの一行が雪崩に遭い、死傷者がでた。冬山が牙をむいた時の怖さを見せつけた。山のベテランにも計り知れない「白魔」の振る舞いだったのか。小説の題材となった青森歩兵第五連隊の行軍は明治35年、1902年の1月下旬に行われ、210人のうち199人が死亡した。時期は今とあまり違わない。ツアー客が滑り降りていたコースの先には、連隊遭難の記念像が立つという。雪の行軍がスキーツアーに変わるまでの約100年は、人間にとっては長い年月だった。しかし、自然にとっては、いわば一瞬なのだろう。
変わらない悠久の営みへの恐れを、忘れないようにしたい。以上朝日の天声人語より、この通りと何度も読み返し、肝に銘じた。
 
 スポニチ登山学校の先輩M氏より、硫黄岳に登ろうと誘いがあり、2つ返事でOKした。3月に途中まで撮影で何度か登っていて、頂は目前にしていた。11月の燕・常念以来山歩きから遠ざかり、心配であったが、リーダーのM氏と奥様Yさんとは旧知の山仲間なのである。M氏はマラソンも始められホノルルは2年続けて完走し、記録を伸ばし、東京マラソンも参加する。体力を落とさないように努力される姿に脱帽である。前日まで天気予報に大注目。
 
 1月27日(土)あずさに乗り茅野から若い女性ドライバーの運転するタクシーで美濃戸口へ、今年は麓の雪は少なく屋根や道路にもない。八ヶ岳山荘でタクシーを降りた。標高1500m地点、さすがに雪が50a位積もり、アイゼンをつけ雪山装備をし、入山届けをだし歩き出した。赤岳山荘(1800m)への約1時間細かい雪が降り続くが、風が無いのであまり寒さを感じない。12時30分に赤岳山荘でゆっくり昼食を済ませる。今年の八ヶ岳は例年に無く、雪が多いと山荘の女将に教えられた。他の山は雪不足が伝えられているのに何故なのか不思議だ。柳沢北沢コースと南沢コースの分岐を北沢に入りしばらく林道を歩き堰堤広場から鉄橋を9回ほど渡り返しながら登る。アイゼンが利き滑らず順調に登る。雪が降りフードを被り、リズムが良いので楽に雪を捉えて歩けた。数パーティを追い越し追い越されながらも、雪道は快適である。生憎の雪景色で周囲の視界は無く、目安の大同心も現れないうちに、赤岳鉱泉の屋根が見え、アイスクライミングのトレーニング用が昨年より規模が更に大きくブルーの氷柱が連なって出現。15時40分赤岳鉱泉(2340m)に到着した。部屋に案内され、まるでホテルのような個室に驚く。予約でお願いしておいたという。窓からテントの灯りと雪が降り続く様子が幻想的でしばらく呆然とみていた。
 
 1月28日(日)朝日が差し、前夜からの雪が20aほど積もったが、天気は回復した。硫黄岳へ、気持ちが高ぶるが、ラッセルは避けたいので、ゆっくり準備をし、必要最小限の荷物で登る。部屋でストレッチ後、山小屋の前へでると、赤岳が太陽の光に赤く勇壮な姿を現していた。
 赤岳への道と別れいきなり樹林帯の登り、アイスのジョウゴ沢を右に過ぎ、特徴ある大同心を右に大きく捉え、コバルトブルーの空は限りなく青い。きれいだなと何度も立ち止まり嬉しくて、辛いのを忘れる。樹林帯の中ジグザグに登り、抜けると左手の急斜面が現れた。右手は横岳へと続く稜線がはっきり見えた。昨年はこの辺で雪崩の事故が起きたことを思いだした。雪の状態は大丈夫と確認しながら、ひたすら雪の急斜面を登り、とうとう赤岩の頭(2656m)へ着く。立ち休みをするが、さすが風が吹きぬけ頬がびりびり痛い。硫黄岳まで15分だよとM氏の励ましに、青空に溶け込むように一歩一歩進む。冷たい風が容赦なく隙間から入り込む。青空なのにこの厳しさだから装備の大切さが身にしみる。稜線は雪が強風で飛ばされ少ししかない。大きな岩を回り込み、一番危険な斜面をトラバースすると、10時15分硫黄岳(2760m)頂上へ到着。
 広場に先客は若者達1パーティだけで静かだ。360度の眺望に満足する。冬山でしか見ることの出来ないブルー、ホワイト、稜線の鋭さに圧倒される。
 熱いお茶に感謝しながらゆっくりし、下山はあれと思う間にピストンで赤岳鉱泉へ12時に無事もどった。
 こんなに恵まれた条件で憧れの冬山初級とはいえ硫黄岳に登れたことに、スポニチ登山学校とM氏夫妻・自身の健康に感謝したい。

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