1998年(平成10年)7月1日(旬刊)

No.44

銀座一丁目新聞

 

ホーム
茶説
映画紹介
個人美術館の旅
連載小説
ゴン太の日記帳
海上の森
告知板
バックナンバー

ゴン太の日記帳 (10)

目黒 ゴン太

 7月に入り、自分の通う大学は、テストが始まりだす。皆、この時期になると必死に「ノート」を集めだす。これは、今まで講義をサボっていた為、その講義に出席した者からノートを借り、テストに備える作業である。もちろん、自分も決して真面目な学生とは言えない部類にある訳で、この「ノート」集めに参加しているのだが、これを毎回テスト前に行っていて常々思うことは、そのテストとは何とも馬鹿げたものなのだということである。

 以前、テストを控えたある講義の中で、教授が、テストについての質問を受けると言い出した。そして、1人の学生がこう尋ねた、「すいません。今回のテストは何の為に行うのですか?」

 すると、その教授は、「皆さんが、この講義にどれ程関心を持っているか試す為です。」と言った。そして、そのテストと言えば、講義の約2〜3割程度の出席率を誇った自分が8割以上も取れてしまった内容であった。これは、例のノート集めの成果に他ならないが、では、大学での評価は、ノート集め次第とでも言えるのかと言えば、実際の所、大半はそれで済んでしまうのが、現実である。これが、馬鹿げたものとした所以である。

 講義出ずに、楽して点をもらっておいて、文句言うなどとは、言語道断であると言われてしまうかもしれない。確かに、そう言われても仕方がない。しかし、あえて言うならば、その講義自体がムダしか思えない物が多い。大学に入ってまで、黒板に字をいっぱい書いて、とってもご丁寧に指導してくれなくても結構である。そして、そこからそっくりそのままテスト問題にして、自分達が関心有るか等と試してくれなくていい。普通、大学で講義を選ぶ際、関心の無いものはそうそう最初から選んだりしないし、例えそうであったとしても、その時点でやる気がないものと見なされていい筈だからである。

 こうして見ると、今の大学の講義内容は、変な意味で、学生側に合わせている様に思う。もっと、それぞれの分野の科目に、自分の考えをぶつけ、批判的見地から、物事を判断できる力や、自分のフィルターを作っていく事を養わせて欲しいと願うのだが、今までの大学の講義は、詰め込み作業が多く、何の手応えもないものが多すぎる…と思いながらも、単位欲しさに、ノート集めに奔走する自分に嫌気がさしているのである。

 

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp