1998年(平成10年)7月1日(旬刊)

No.44

銀座一丁目新聞

 

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連載小説

ヒマラヤの虹(15)

峰森友人 作

 午後四時半過ぎホテル・ククリに帰り着いた慶太は、登山靴を脱ぐ時間も惜しんで、マデュカールからカトマンズの国際赤十字の電話番号を聞き、それをフロントに告げた。電話がつながると、

 「ワタクシハ・コクレンノ・サタケト・イイマスガ」

 慶太は英語でゆっくりと告げた。電話の向こうで一言、二言ネパール語の声がした。そしてしばらくして、

 「ハロー、ミホコ・ヤザワ・スピーキング」

 いきなり日本語の名前の女性が電話口に出た。咄嗟のことで慶太は慌てた。国際赤十字と日本人の研究者という構図の中にいきなりヤザワという日本人の点が飛び込んできたのである。その声も名前も百合のものではない。

 「あのー、あなたは、日本人でしょう・・・か?」

 慶太が奇妙な内容の質問を日本語ですると、

 「ハア?」

 という語尾上がりのきつい声が返ってきた。それは短くても、日本語に間違いない。つまり相手は慶太の日本語を聞き取り、いきなり日本人かと日本語で聞かれたので、驚いて聞き返したのである。

 「突然の電話で恐縮ですが、私は国連の佐竹と申します」

 慶太はやっと落ち着きを取り戻して、名乗り直した。すると相手はしばらくの沈黙を置いて、

 「ハ…」

 と、今度は語尾下がりで、驚くでもなく納得するでもない中途半端な返事をした。

 「突然恐縮なのですが、実は国際赤十字のネパールでの活動についてお聞きしたいのですが、明日会うお時間いただけますでしょうか」

 相手はまた沈黙した。受話器の通話口を手でふさいで何かしゃべっているくぐもり声が意味不明のまま響いてきた。

 「今どちらなんでしょうか」

 「ポカラです」

 「ポカラ?」

 相手の声は、少々驚いているようでもあり、苛立っているようでもある。

 「申し訳ありません。実は先程申し上げましたように、国際赤十字の活動でなるべく早くお聞きしたいことがありまして・・・」

 「国連のとおっしゃったけど・・・」

 「そうです。ニューヨークから来ました佐竹と申しますが」

 「そりゃあ、国連の方から活動について聞きたいと言われれば、お話ししないわけにはいきませんけど・・・。明日と言われても・・・。三日後の十九日にポカラというのでは遅すぎますか」

 「いいえ、結構です。それでは十九日にポカラで。とすると、午前と午後のどちらに?」

 「十九日朝一つ仕事をこなしてから・・・。午後遅くなら大丈夫だと思いますが」

 「それでは、午後五時にフィッシュテール・ロッジということでいかがでしょうか」

 「分かりました。そこへ参ります。今お泊まりは?」

 慶太はホテル・ククリの名前と電話番号を告げて電話を切った。国際赤十字の女性はヤザワ・ミホコと名乗った。もし会って顔を見れば、少なくともミホコが百合を知っているかどうかぐらいは分かるだろう。慶太は登山靴のままベッドに横たわると、ヤザワ・ミホコなる人物の風貌を想像してみた。落ち着いた話し振りから、何となく大柄な女性が想像された。天井に向かって、大きな息を吐くと、天井からクモの糸のように垂れ下がった埃の糸がふわりふわりと泳いだ。

 

 翌朝慶太は再び赤十字ポカラ支所を一人で訪れた。ホテルのマネージャーと違って、責任者のマヘシュは笑みというものとはまったく無縁の男のようだった。だからと言って、決して無愛想でもぶっきらぼうでもない。顔の筋肉が笑う運動を覚える機会がなかったのだろう。応対も言葉も丁寧である。

 「インディラもビジャヤも村の人の信頼はとても厚いようでした」

 慶太はドルフェルディ訪問の報告をした。

 「そうです。インディラはタナフン郡の女性ボランティアの中でも一番優秀な一人です。通信教育で勉強していますが、農家を回る時もテキストを袋の中に入れて歩いています。正式に大学へ行かせてやれるといいんですが」

 マヘシュは、ほとんど抑揚のない英語をしゃべった。

 「何か困ったことは?」

 「ありません、いや、一つありました。実は、畑の横のトイレですが、枯れ枝などで回りを囲い、天井のように上にも枯れ枝をわたしてあるのはいいのですが、実はそれが私の首ぐらいの高さなんです」

 慶太がこう言って、これ以上は不可能というところまで首を前に曲げ、足を開き、ベルトの下に手を持っていくと、笑いをまったく知らないマヘシュの顔の筋肉が小さく痙攣するように動いた。そしてマヘシュは口をわずかに開くと、喉の奥の方から、

 「ア、ア、ア、ア…」

 と声を出した、いや笑った。マヘシュは笑顔は作らないが、笑うことはあるのだ。

 「今度来るまでに男性客にも配慮して、トイレの天井をもう少し高くしておいてくれると、あの家はタナフン郡の四つ星ホテルになります」

 と言うと、マヘシュはまた、

 「ア、ア、ア、ア…」

 と、眼鏡の奥の目を細めて笑った。

 「ところで少し聞きたいことがあるのですが・・・」

 慶太は、トイレ談義を切り替えた。マヘシュは表情を変えずに、慶太の顔をじっと見ていた。

 「実は、インディラからいろいろ話しを聞いているうちに、最近女性の地位向上プロジェクト準備のために、ノルウエーの国際開発庁の人と国際赤十字の人が視察に来たそうです」

 「そうです。その話しは承知しております。カトマンズのネパール赤十字本社の職員が案内するというので、私は行かなかったのですが」

 「あ、それならわたしの説明もほとんど要らない。実はその国際赤十字の人についていたのがトリジャというネパール人女性で、以前インディラと同じ仕事をしていたとかで・・・」

 慶太はまだ会ったことのないトリジャの姿を昨日のインディラの姿に重ねながら言った。するとマヘシュはこともなげにこう言った。

 「そうです。トリジャは私の妹です」

 慶太がちょっと驚いた様子になると、マヘシュが説明を始めた。

 トリジャはゴルカの学校を出て、赤十字の家族計画のプロジェクトを手伝っていた時、カナダの協力で水道プロジェクトをタナフン郡でやることになり、マヘシュがトリジャをボランティア・ワーカーとして紹介した。トリジャは、飲料水衛生計画がカナダから日本に引き継がれた年までこの仕事をしていたが、ゴルカにいる親が学校の教師との結婚を決めて、トリジャを呼び戻した。

 マヘシュはその先を聞かれないのに、トリジャについてさらに続けた。トリジャの相手は既に三十を過ぎていた。子供をすぐに欲しがったが、トリジャにはなぜか子供が出来なかった。三年たって、男はトリジャに別れると言い渡した。

 「そんなことが許されるのですか」

 慶太は途上国の実態として知識としては知っていたが、具体的な話しとして聞くと、やはり納得出来なかった。

 「仕方ありません。結婚と子供を作ることはひとつですから」

 「しかし相手は学校の先生。女性のことが十分分かる人だったのでは?」

 「いい人だったと思います。しかし結婚して子供が出来るかどうかと、いい人かどうかは別です。彼は歳もいっていましたから、早く子供が出来ないと・・・」

 トリジャはまたゴルカを出て、仕事を探すことになった。既にポカラ駐在になっていたマヘシュが五月にカトマンズの本社に出かけた時、国際赤十字で英語の出来るボランティアを探している話しを聞いて、トリジャを紹介した。

 「それではその国際赤十字の専門家について、トリジャから何か聞いたことがありますか」

 「いいえ。何でも今やっている調査の性格から、その人は、今はまだ人に知られないことが大事だと言っているとチラッと聞きましたが」

 慶太の緊張は高まってきた。この話しはマデュカールが手紙で知らせてきた事情と似ている。百合らしき女性は、助手役のネパール人女性にも、自分の存在を他言しないように口止めしているのではないか。

 慶太はマヘシュの話しを聞きながら、先程マヘシュが言った「五月」にこだわっていた。それは慶太が百合とポカラで別れた日時、さらには百合が退職したと山田里子から聞いた日時と、流れとしては符号する。また百合が既に野生生活に入ってからボンベイの消印で送ってきた手紙の時間も妥当なものとなる。

 「それで今トリジャはその人とどのあたりにいるか、心当たりは?」

 「国際赤十字の人は知りませんが、トリジャは今家におります」

 「家って?」

 「ゴルカの親元です。タナフン郡の視察の後その人が仕事も一段落したのでしばらく家に帰って休養しているようにって。実はドルフェルディから下りてきた次の日ここに寄って、そういう話しをして、ゴルカへ帰ったんです」

 「トリジャに会って、その国際赤十字の人のことを少し聞きたいのですが、ゴルカまで行けば会えますか」

 「ええ会えるはずです。ただトリジャが話すかどうか」

 慶太は、明日にもゴルカへ行ってみたいので、家の住所をメモしてくれるよう頼んだ。マヘシュは引き出しから茶色の紙を取り出すと、バス停留所、山の上のゴルカ王宮、学校などを書き入れ、バス停の近くの電話局からさらに先の道や川の線を引き、それを渡った先に丸印をつけた。最後に村の名前を英語とネパール語で書き入れた。チョルカテ、それが村の名前だった。

 

 ゴルカ。この小さな町の名を聞くと、人はたちまち二つのことを想起する。一つはゴルカの王、プリトビ・ナラヤン・シャーが一七六九年、カトマンズを征服してネパールの統一を達成したこと。現ビレンドラ国王に至るネパール王国はゴルカの王の手によってつくられた。植民地経験のないネパール王国はわずかながらも建国の歴史はアメリカより古い。もう一つはその王が率いたグルン族からなるゴルカの兵士、後に世界にその名をとどろかせるグルカ兵である。ククリと呼ばれる山刀を振り回し、敵の首をあっという間にはねるという伝説的な荒業は、あまりにも有名である。ネパールの制圧に失敗したイギリスは一八一五年以来、このグルカの兵力を逆に徴用した。グルカ兵はイギリス軍の外人部隊として、数々の戦闘に参加し、インドの独立後はインド陸軍でも活動する。現在なお、ゴルカや中部山岳地のグルン族を中心に、インド陸軍で十万、イギリス軍で一万弱のグルカ兵が出稼ぎ兵士として服務している。

 午前七時前慶太が万が一に備えて用意した寝袋や水ボトルの入ったバックパックを担いでロビーに下りると、ウダヤはもちろん、前日からホテルに頼んでおいたタクシーもちゃんと待機していた。ホテルのマネジャーがいつもの笑顔を崩さず、見送りに出てきた。

 「ゴルカ・ダルバール(王宮)は一見の価値があります。ネパール王国成立記念の建物ですが、そこからの眺めも誠にすばらしい」

 慶太のゴルカ行きの目的を知らないマネジャーは、愛想よく旅人を送り出した。

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