2006年(平成18年)11月10日号

No.341

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
銀座の桜
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

茶説

放送命令と「報道の自由」を考える

牧念人 悠々

 菅義偉総務相が拉致問題で「放送命令」を出したことで新聞は「報道の自由」を問題にしている。「電波管理審議会」が「適当」という答申を出した(11月8日)ところで今度はNHKの弱腰を批判する。だが、本当に総務相の「命令」は「報道の自由」の侵害に当たるのだろうか。一般紙、民放などに国が命令でも指示でも出せば、圧力となり、侵害になる。今回は年間国から22億の交付金を受けているNHK短波ラジオ国際放送への命令である。この会社は業務が「放送」(報道)であっても国策を放送する会社である。放送法33条には「総務大臣は協会に対し、放送区域、放送事項、その他必要な事項を指定して国際放送を行うことを命じ、または委託して放送区域、委託放送事項、その他必要な事項を指定して委託国際放送業務を行うことができる」とある。それに基づいた命令の内容は「北朝鮮による日本人拉致問題に留意すること」であった。報道メデアに「命令する」表現は似つかわしくないかもしれないが、法律である。総務相のやっていることに落ち度はない。報道の自由を侵害したとも思えない。むしろ国民の知る権利に答えた命令である。NHKのある幹部が「放送の具体的内容に口を出されて、違和感を覚えない職員はいないだろう。別のテーマでも命令が出れば報道メデアとして終わりを迎えることになる」と話したという(毎日)。泣きごとを言うな。これからも国策に沿ったテーマが出されるであろう。国策放送といえども放送メデアである。理不尽な命令であるかどうか判断して、出されたテーマにしたがって企画を立てればよい。職員達がよい仕事をしなければ、そのメデアは「終わりを迎える」ことになろう。放送人の自身の問題である。民放ではスポンサーの意向と称して良心的な番組がいくらでも没になっている。新聞社でも広告スポンサーの圧力で記事がゆがめれている。
 毎日新聞が昭和52年12月、新旧分離して会社を再建する際、新しく外部資本を迎えるに当たり報道の自由が侵される恐れがあるとして「編集綱領」を作った。もちろん資本の過半数は毎日側で確保した。その第一項(表現の自由)は 「毎日新聞は取材報道、解説、評論、紙面制作など、編集に関する総ての活動に当たって、それが国民の表現の自由に根ざすことを認識し、すべての国民が、その権利を行使するのに寄与す」とした。編集方針に国民(読者)との関係を明記したのである。今回の総務相の「命令」を国民の立場から判断したらどうなるかといえば、何等不都合はない。北朝鮮による拉致問題が解決するのを国民は望んでいる。「拉致問題を十分扱っている」と国際放送の職員はいうが、何故未だに解決しないのか、極端な言い方だが、「君達の放送のやり方が悪いから拉致問題は解決しないのではないか」といわれても仕方あるまい。文句を言う前に自分達が何をしたのか、最善を果たしたのか己の胸に問え。これから国策放送として何をやるべきかを考えよ。放送すべき企画はいくらでもある。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp