2006年(平成18年)9月20日号

No.336

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安全地帯(156)

信濃 太郎

電車の中の化粧は止めたら・・・

 女性の電車の中での化粧を苦々しく思っていた。人前で化粧するのは女のたしなみとしていかがなものか。恥ずかしくないのか。そう思いつつ今日まで来た。毎日新聞の読者の声欄「みんなの広場」に興味深い記事が載った(9月14日)。それによるとヨーロッパでは電車の中で化粧をするのは売春婦だけで普通の人は決してしない。現に日本でも電車の中で外国人の男性から「ハウマッチ、いくらですか」と声を掛けられた女の子を見かけた。彼女たちは車内の化粧が原因で誤解されたと気がついていないという(56歳の主婦)。ヨーロッパ旅行中の知人にこのこと教えた現地の通訳は「車内で化粧するのは『私を買ってください』とアッピールしているのです」と説明したそうだ。日頃はしたないと思っていたが、潜在意識では女性が男性に「買ってくれ」と訴えっているとは知らなかった。
 昔は家の中で化粧するのも家人にわからないようにした。それが女性のたしなみであり、女のしつけであった。それが事もあろうに大勢の人の前で化粧をするのを恥ずかしく思わないのか。何時のころからこのような有様になったのか。大きくいえば戦後の自由主義、個人主義を自由放任主義と履き違え、自分勝手にすき放題の事をするようになった。また大人が子供に対して無関心、無責任になったことも挙げられよう。地域から「かみなり親爺」がいなくなった。何故「恥じらい」の意識がなくなったのか。それは親がしつけないからである。たとえば、電車の中で男女をとわず若者が欠伸をする際、手を口に当てることをせず大きな口を人前にさらけだして平気でいる姿をよく見かける。しつけられていない動物と同じである。
 新渡戸稲造はその著「武士道」で「羞恥の感覚は人類の道徳的自覚の最も早き兆候である」と述べている。とすれば羞恥心なき人間は道徳的感覚もないということになる。昨今マナーの悪い人間が増えているの理由があるわけだ。由々しきことだ思う。「美しき日本」はこのような形で次第に蝕まれてゆく。

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