2006年(平成18年)7月1日号

No.328

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茶説

携帯電話が食卓を占領した

牧念人 悠々

 世の中は変わってゆく。事件がそれを端的に表すが、些細な日常の家庭生活にもそれが現る。さる日の朝、愕然とした。毎日新聞の「女の気持ち」(6月22日)に母親が食事中に携帯電話を使用する。24歳の娘が注意しても母親は知らん顔をしているという。私には想像を越える出来事であった。娘さんは訴える。「最近は子供会もスポーツ少年団なども連絡が携帯電話のメールできます。お蔭で食事中にもメール着信が頻繁にくるようになり、母はその都度返信や送信をしています。不思議なことに、私や妹が食事中に携帯を見ただけでも注意をしていた父がなにもいわないのです」とある。我が家では食事はいくら早く食べても良かったが、しゃべらない事がルールであった。携帯がない戦前の話である。
 仙台に住む女性の投稿である。とすれば「携帯電話が食卓を占領する」状況が全国の家庭で当たり前のように見られるのではないか。「一日一善」を心掛ける私は電車の「優先席」でわき目も振らず携帯電話を使用している若者によく注意するが、携帯を使う若者はあとを絶たない。当然かもしれない。最近では注意するのが馬鹿らしくなってきた。
 本来しつけは家庭で行われる。親が身をもって教える。10年ほど前のある食品会社の調べでは食卓の子供のマナーは母親がしつけるが60%を超えたが、それが逆となったしまったようである。頼りになるはずの父親はだんまりを決め込んでいる。家庭崩壊が言われて久しい。携帯電話はその崩壊を加速させている。確かに携帯は文明の利器である。いまや手放せられないものになった。私自身も重宝している。万歩計にも使っている。だが、家庭でも公共の場でも一定のルールがあるはずである。そのルールが戦後の個人主義と自己中心主義のために守られなくなってきた。これでは家庭も社会も見えない形で崩壊してゆく。人間が携帯電話の奴隷になってはおしまいだ。

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