2006年(平成18年)5月10日号

No.323

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自省抄(57)

池上三重子

  3月7日(旧暦2月8日)火曜日 快晴 

 国立別府病院院長高安慎一先生は英国紳士と噂申上げる長身白皙のお靴の音がコツコツと近付いて来る。どうぞそのまま素通りして、と祈る。動悸の音が拡大したようにひびく。やっぱり「如何ですか」とお問い下さる。「もうこんなに宜しくなりました」とご報告できたなら、と願った。最後まで慈しみ深いお見守りを頂いた。
 辛かったなあ。症状の軽快に向かう事を私は私自身のためというよりも、心尽くして治療の方法をお考え頂くそのお気持ちに応えるため、夫のためと優先していた。母は二の次、三の次ぎ程度にしか考えていなかった。
 母こそは最も深く靭く私の治癒を祈り、神に仏に必死のお詣りをつづけて念じたのに……一にも二にも夫を母より優先させた慚愧は、生涯のわだかまりとなって苦悩を与える。与えは自分凝視の時とまなざしの恵与、叡智への誘導よ。生涯の「人となれよ」という下命よ。
 母上よ、ありがとう。私が母上を恋いつづけようと詫びつづけようと、それは天命ですね。利他の感情も利己の情念も個のつくりだしたものとは思えないからです。
 永劫なる私の神は黙々とただ見守られるだけ。無常です。ああ無常こそ真理、無常こそは真実、私は肯定を深くしていくだけです。
 逡巡も私の生のひととき。
 躊躇も私の生のひととき。
 捨てて捨ててになりきらぬ時よありがとう。在りがたいいのち在ってつづる自省抄これは、私への励まし私への勇気あたえよ。軽んじまい、大切な時の贈りもの。
 ふたたびは還ることなく唯々ゆくのみの刻は一期一会。生老病死の世々生々の順繰りをくりかえし五十億回の呼吸のあと、生きとし生けるものは再びの闇のかなたへ去っていく。父も母も顔すら知らぬ祖父母やその御祖方々もこれに似た思いを、考えを経て順繰りに墳墓の下にとけ入ったろうか。
 愛しまざらめやも
 慈しまざらめやも
  杳き日や籬の隅の竜髭紺珠冴えつつ雨うけてゐつ
  寂しさの底ひの底のなほ底の寂しき魂それぞわれらし
  凡庸のわれの遺りてまぼろしの過去帳を繰る闇の目覚めに
  広しとも点とも見ゆれ抱擁の無限が証す孤ついのちを
  つらぬきて涯まで贍(み)よと賜ふらむいのちか我は今を呼吸づく
  即興の歌湧くままに綴りつつ刻を注しゆくあはれいのちは

  3月11日(旧暦2月12日)土曜日 くもり

  素畳につかるるみ掌ゆ宮柊二み面あげましぬ母におくれて
  み面み声訪ひたまはりし清冽の気韻たかきを母ひとりごつ
  柳川に今日は天草いまここに目文字たまはりし泪すずるる
  世に人にあとじさりつつ幾年月拠り処の芯に宮柊二在しき
  うたごころ立ち返れとやこの春を怒気孕むなりみ声宮柊二はも
 昨日は宮柊二師を今々ごとのように思い出して歌作り。
 叱咤された柳川の婚家の病室。ご同道いただいた久保節男先生にお気の毒する。天下の大歌人で礼節正しい先生を、狭い玄関土間にお待たせしたのだから肯定しきり慚愧しきり、今に曳きずって詫びているのだ。
 大牟田から治療機器をもとめて、母が午前と午後二時間ずつの治療手当て。大変な労作にもかかわらず、治療中とそのあとしばらくの体中の筋肉のやわらぎの他に効果なし。宮先生の怒気は真にもっともの事。
 天草の寮お立ち寄りは、五足の旅の先師恋いにもとずくもの、御歌材探求のものであったが、柳川の婚家でのお態度へのご自省がおはたらきになったのではと推察申し上げる。 おなつかしい宮柊二先生。礼節正しくきびしく生得の詩情ゆたかな湧井の原泉おそなえの天下並びのない大歌人、学究の徒といえるのでは。『朱鷺幻想』など天上の花のようなと譬え上げたい。
 野暮で稚拙の田舎者まるだしの私という存在が浮き彫りに彷彿するのは、先生のご面前における私の実像である。
 世も歌も歌友がたも、いっさいがっさい拒みたい一心が知る人ひとりない天草を逃亡地にえらばせた。「あまくさは死んだもんの行くとこ」とは、ものごころつく頃からの馴染みの伝承。母と一緒の念願がかなえられて天草郡二江の寮の利用者となることができ、私は一年分のノートその他を用意して発った。
「福岡県にも全国から見学に来る優秀な施設があるのに、わざわざ熊本に希望するとは」とは、柳川福祉課の担当者と福岡県庁の職員のお言葉。しかし県庁の福祉担当部長の恩情拝受のお陰と、妙子先輩の義兄上のお扶けを得て実現したものだった。熊本県知事ご夫妻、柳川市長ご夫妻のご恩も忘するべからずだ。
 それがまた、天草から福岡へ!? 意外な帰郷に伴うかれこれの経緯もまた合縁奇縁、人また人のご縁の絆に鮮しい感動をおぼえる。
 生きるいのちは天と地と人の賜物に囲繞されて、一回きりの有為有情の天然自然の生きもののかたちをとりつつ、空を阿吽の息づかいにつらぬいて涯は永遠に永劫の闇の光にとけ入るのだ。
  即興に歌書きつらね戻り来し寒のひと日の夕の謐かさ
  挽臼の音ゴロゴロと香煎(こうばし)を母のはたれば近し涅槃会
  不思議とは新なり新を生き生きて媼のわれにわれの愕く
  自から心緊り来あさあけに自省抄とふ三文字顕ちて
  我と我がいのちを証す歓びかいそいそと執る自省抄のペン
  人の手に緩める蓋を左指外し右指の軸もつペンよ始動す
  読み書きとふ作務の恩寵忝なきけふなり暫し昼を憩はむ



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