2006年(平成18年)3月20日号

No.318

銀座一丁目新聞

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北海道物語
(31)

「複数居住地(マルチハビテーション)北海道」

最終回

−宮崎 徹−

  北海道物語も今回が最終稿である。五十年振りに東京に戻り、在道五十年の思い出の消えないうちにと、約一年間で三十一回の稿となった。
 開拓の初期からの変化の著しい北海道を取り上げて行くと、今の流行語の「おじさんの好きな昔話」に流れ易く、北海道の現在の課題、今後への展望に及ぶことがなかったように思う。過去の検討よりも、人口減少社会の本格化する日本の中で、ただでさえも比重の少ない北海道が、今後どういう風に対応すべきかと、皆が心配している時代なのに。
 石炭を始めとして北海道の資源産業が日本全体に貢献した戦前から、戦後はエネルギー革命による石炭の衰退に代わる産業を見いだせなかった北海道は、開発予算に頼って、域際収支のマイナスを補ったと言えよう。ただ国の方針により、開発予算の永続が期待出来なくなっ て来た。此の辺の過去の経過の説明や評価は、それこそ目の不自由な人が、この象の一部を撫で触れたつもりで書いて来た北海道物語だった。
 さて二十一世紀の本道が、どんな形の生き物に成るのかは、私のような者にはなかなか想像できない。勿論北海道の産学官の最高スタッフが組織的体系的に研究を進めているのだから、その計画に従うことは大事だが、その中で民間が同じくらいの役割を果たすべきだと思うことは、人口の減る北海道に、定年退職の団塊の世代を迎えたいという問題である。それには戦時中、国が都会の疎開児童を強制的に地方に割り当てたような拙策ではなく、本州の人達が自発的に本道の自然人情に触れて、第二の人生を送って行けるようにすることが肝要だ。集団の移住にはならないだろうから、北国の生活の処し方をどうして覚えて貰うのか、それを誰かが教えて上げるのかが問題だ。自然が美しく空気が澄んで居ても、高齢者の病気の不安に対する医療設備はどうなのかなど、行政では行き届かない人間として生活の問題を、各市町村はどう扱って行くのかが大変だ。若し将来機会があれば、この北海道に移ってきた人の話を、大雪の周辺の町村を中心とした範囲の状況レポートとして書き送ってみたいと思っている。
 「二地域居住」とは国土交通省が最近使い出した言葉である。例えると、都会であくせく働くサラリーマンが週末に田舎暮らしを楽しむというライフスタイルのことで、ロシアの小説等を読むと別荘(ダーチャ)と言って郊外に三百坪くらいの農園付きの別荘があって、週末を楽しむ。恐らく東京人ならば房総半島とか信州を選ぶスタイルだろう。
 しかし一年の中の或る期間を北海道と言うことも充分に考えられることである。二十年程前から私たちもマルチハビテーション(複数の住居)の言葉で行政に呼び掛けていた。バブルが起きる前に既に可能性はあったのである。その頃には航空運賃も生活費の中のウェイトがかなり小さくなり、特に通信費は大きく下がった。(昭和五十六年までは電話料金は旭川−東京間は三分間七百二十円だった!!)コテージを持ち、リゾート会員権を購入する人達も出てきたが、それはまだ限られた所得層で、旭川の近辺の場所としては富良野であり、トマムだった。リゾート・レジャー産業やデヴェロッパーが営業の中心だったが、バブルの崩壊で頓挫してしまったのが現状である。
 開拓の旗の下に、緩慢ながら伸びてきた北海道の成長もピークを越え、全国を上回るスピードで少子高齢化が進み、2030年の人口は2000年よりも百四万人減って四百六十四万人となるといわれている。勿論日本全体として人口が減るので、国政、道政、財界等、皆で取り組む問題だが、民間の危機感も同じである。海外に通用する技術を持ち輸出を伸ばす企業は北海道には少なく、サービス産業の比率の高い各市町村では、人口の減少は、売上の減少する商業に影響し、医療や文化産業も同じだろう。
 マルチハビテーションによって人間の交流を図り、都会人は癒しの自然の中に悦びを感じると共に、それによる情報・文化の交流も北海道のプラスとなるのだが、民間の経験としては、此の流れを行政が希望する以上、有形無形のボトルネックと思われる規制を少なくして貰いたいことである。高度成長期に、関東地方の或る県と隣県とでは、工場進出の受け入れ態度が異なったので、産業の比率が大きく変わった。また北海道でも或る時期は、土地を求め労働力を求める企業があっても、清浄な自然を残したいと拒まれた例を聞く。そういう会社は中国にその場を求めたようだ。研究所だけなら受け入れても良いと言っている中に、九州はシリコンアイランドをつくり上げたのである。
 勿論民間の方でも、心の参入障壁をつくらないようにしたい。今後の五年や十年は、折角北海道に来ても、安住出来ずに離道する例が多いかもしれない。相互を知らず、知ろうとしない ような暮らし方を「匿名性のまち」と私は名付けている。北海道ばかりではないが、道で会ったらお早うという子供が居て、商店はお得意先の名前を覚えている。これは「記名式のまち」である。今回の対象の団塊の世代は、多くは匿名性のくらしの都市からの来道である。同じような匿名式が良いと思う人は札幌圏を好むだろう。しかし、高齢化し子供が離れて行って適度の人情を好む人は記名式の町村を求めた方がよい。人それぞれなのである。各地はそれぞれ自分の特色を生かして、北海道を望む人達を失望させないようにして欲しいものだ。
 一年に亘って北海道物語を読んでいただいた方々に、心から御礼を申し上げて、本シリーズを終わらせていただく。

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