2006年(平成18年)3月1日号

No.316

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自省抄(53)

池上三重子

 2006年1月29日(旧暦1月1日)日曜日

 旧暦元日。
 生家の杳い記憶がやっぱり甦る。老いては過去が蘇ることによって鮮しさを加え、生命に活気活力をあたえるのであろうか。
 母上よ、思い出すままに書いてみましょうか。悉く覚えているつもりでも、抜け落ちている部分がありましょうね。
 元日の朝だけ洗顔はお湯。木製の手桶の上に金盥をおいてすまし、大手桶に流しこむ。この朝にかぎって父が沸かした。男尊女卑の名残に縁起をかついだのであろう。井戸釣瓶の滑車に汲み上げるのも父、その年の恵方に面向けての所作も何もかも男尊しであった。 小学校もこの日は十時始業、午前中授業で下校。
 家は直会(のーれ)までは昨晩、大晦日のつづきと表の大戸は十時頃まで開けない。  御前(ごんぜん)の長火鉢で餠を焼く。砂糖、醤油が用意されている。いつの年か味噌で食べたことが一度だけあるが、舐め味噌は例年用意されなかった。「味噌菜(ぜ)はするな」と藩令が出ていた名残らしく、味噌は贅沢なお菜となっていたのであろうか。
 火鉢の餠網の上、白い丸餠がプーッと外皮をはじけさせて膨れあがるのを待ちかまえ、ふうふう息吹きかけて醒ましつつ黒糖の塊を落として包みこむ。とろり塊が溶けたところを「熱っ熱っ」と千切っては口に放りこむ楽しさ。舌で転がしながら、火傷しそうな口内をいたわりながら、これがお茶の時間。
 食事までの間に父や兄や男衆が氏神詣り。男衆が泊まったのは、初荷の用意を大晦日にととのえるためであったろうか。
 お茶が終われば座を板の間に移して直会の儀式。お神酒を頂く。ここから新年が始まる。 飯も雑煮も輪島塗りの黒椀。雑煮はお清汁で昆布とするめが載っている。間をおくとはいえ、お茶の餠のあとにまた雑煮餠、よくもお腹に納まったものだ。
 お膳には大晦日夜のように「おひら椀」に七種。大晦日は九種(ここなくさ)だが元日は七種だった。ニンジン、ゴボウ、レンコン、カブ、サトイモ、ダイコン、シビ。おなますは煮なます。三段ものの「リキロ丼」には数の子やおなますが……覚えおぼろよ。
「何でん無かが一番(いっち)良か」と口にしつつも、克明に伝統行事を守りつづけた几帳面な生真面目一途な母であった。
 母上よ。あなたのお陰で、私は心ゆたかな思い出を引き寄せては心の糧とさせて頂いているのですよ。
 表大戸の戸袋近くに一枚の筵を掛け、その手前側に鱒か鮭の大魚(うういお)に笹を咬ませて「お正月っつぁん」の拠点(よりしろ)として迎えた旧正月元日、この元旦! お陰で私は昔にかえり少女にかえり、父に母に兄に姉に男衆に対面できる倖せの頂戴です。 それにしても、一月は伝統行事や「初」のつくものが何と多い月だったことでしょう。仄々しさが虹を描くように嬉しく思い出されます。
 十日は十日エビスに十日金毘羅。十一日は鏡開き。
 十四日は左義長。陰暦この日の昔々、兄は水芋田で真似型だけの火祭の火を焚いた。そうそう、陰暦七日はホンゲンギョウの伝承の大々的なものでした。
 十八日は初観音。本家裏の北東に小さな観音堂があり、恩日には女子青年団の村内の数人が籠り、お詣りの人々の接待役。各がおこわやお浸し、お煮染めなどを持ち寄って、お賽銭を挙げて手をあわせる小母さんや子供たちの掌に供したものです。中とよぶ小母さん宅の縁先には小さな祠があって、母上と連れ立って拝みましたね。私はもちろん「オセッテ(お接待)」がたのしみ。乾燥した夏豆(蚕豆)をもどして黒砂糖で練ったものや、不断草やカラシナエと称ぶカラシ菜のごま和えなどなど……小母さんは気さくな笑顔絶やさぬ人柄で、豊かさとはと子供ごころに刻んだ家でした。なつかしくてたまりません。
 二十日は二十日正月。生家の慣いでは、この日「正月っつぁん」迎えの筵の陰に吊るした大魚を降し、カラシ菜と炊き合わせたお菜に大根のなますを頂いたものです。小豆の赤飯もうれしい御馳走でした。
 板の間の大きな折り畳みのお膳を囲む家族たち。商売を営む頃は、窓際の上座に父と兄、下座に母とハマ代嫂、御前との境の敷居際に姉と私が並んで座り、向う側に男衆。私の傍には猫が、みなに内緒でやる餌をうまく口にしていました。
 なつかしい奥牟田村の西村が生家の村。
 わが家は西村の入口の土橋の際。橋の名は「橋口橋」と銘されていたと、隆昭がおかしそうに笑って告げたことがありました。因に「橋口」とよばれていたわが家でした。
 茣蓙屋は北の端の本家と南の入口のわが家の二軒。「茣蓙屋は忙しかのう。いっちょん好かん!」という私。頭に埃まみれの屋号入りの手拭を被り、裏の不図出口の漆喰張り辺りで「藺なま」を除く手先を動かしつづけ、「好かんでっちゃ、こりが仕事(しごつ)」とにべもなかった母……。先日、山本周五郎の作品に初めて腰を据えて目もじしたのですが、なるほど、沢山の読者を得ておられる貫録を窺うことができました。「花筵」も「おたふく物語」もよかった。
 花筵は聞き馴れた言葉。花筵、綾筵、菱、ちらちら、花茣蓙、表物、一枚物、長茣蓙など、くぐっと咽び涙が出そうなどよめきが胸のどこいらか頭脳にか……。その中身は拡がるひろがる大波紋!
 父あり母あり、兄あり嫂あり姉あり、男衆の虎さん、満さん、茂さん、金ちゃんの息子さんあり、車ありリヤカーあり、茣蓙ミシンあり板子、茣蓙鋏、茣蓙小刀、茣蓙タワシ、藺の屑、茣蓙蒸し釜、初荷、送り荷などなど、関る物や名称や人々の姿が思い出と作品とに交錯して、酔ってしまいそうでした。
 郷愁=感傷。老いては回顧調を自覚せざるを得ません。
 私はいつもの伝で脳裏に一人ひとりの影をよぎらます。

 間もなく五時。穏やかな日々がつづき、今日もその一日が与えられました。仰ぎみる白壁の茜色が徐々に消えていこうとしています。私に訪れているこんなにも穏やかな晩年、母よ、母上よ、共に味わいたかった……今日一日の賜りを感謝しつつ。
 母上よ、夢見にお待ち申しあげます。



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