2006年(平成18年)1月10日号

No.311

銀座一丁目新聞

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茶説

かくばかりみにくき国となりたれば
捧げし人のただ惜しまる

牧念人 悠々

 朝日新聞の社説(1月6日)「首相年頭会見 私たちこそ理解できぬ」を読んでこの歌を思い出した。戦争未亡人の絶唱であるこの歌を小堀桂一郎著「靖国神社と日本人」(PHP新書)で知った。同書にはこうある。「大東亜戦争で発生したいわゆる戦争犯罪人の全ては、交戦国相手だった連合軍の軍事裁判によって裁かれた人々であり、それは平和条約発効(昭和27年4月28日)以前の、つまり国際法的にはまだ彼我の戦争状態が継続している最中の出来事である。ことに刑死したり獄死したりした悲運な人々の場合を考えてみると、彼らはなお彼我の交戦状態がつづいている期間に於いて『敵』の手に掛かって命を落としたのであるから、それは『戦死』という扱いをされてしかるべきであるという理屈になる、つまり国内法的にはけして罪人ではない」。靖国神社には犯罪者を祭るのを禁じられている。いわゆるA級、B級、C級戦争犯罪人は旧敵国がつけた呼称である。国内的には「法務死」「昭和殉難者」と呼ぶ。この人々が国内法的に罪人ではないとして遺族援護法が第16特別国会(吉田内閣・会期昭和28年5月18日から8月10日まで)で改正された。「法改正議決は自由党、改進党、右派・左派社会党と与野党挙げての全会一致の可決だったそうである」(前掲小堀書)。ともかく「東京裁判」を勉強せよといいたい。靖国神社の境内に昨年 6月設置された「パール博士顕彰碑」の意義を考えよ。朝日新聞は一行もこの顕彰碑建立を記事にしなかったではないか。パール博士は東京裁判を『歴史の偽造』と批判している。朝日新聞社説がいう「A級戦犯をまつる靖国神社」はここに根拠を失う。「首相の靖国参拝に違和感を抱く」国民はこの事実を知らないか、不勉強だからである。「まして侵略を受けた中国や、植民地だった韓国に快く思わない人が多いのは当然だとも考える」の朝日の社説の指摘には小泉首相の靖国参拝は『心の問題』であり『国内問題』であると答える。中国や韓国から文句を言われる筋合いのものではない。靖国神社にはA級戦犯は祭られておらず『昭和殉難者』が鎮座する。昭和53年秋に合祀されてかすでに27年もたつ。中国に対しては何度となく謝罪している。1978年には昭和天皇が来日したケ小平に『お国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です・・』と謝罪している(1月4日毎日新聞)。ヨーロッパの国々は侵略と植民地拡大を繰り返したのに関わらず、お互いに抗議をしないのは何故か。国際法上侵略(侵攻)については「その国に解釈決定権」があるからである。戦争には「侵攻」(侵略)と「自衛」の二つがある。その国が『侵略ではない』といえば侵略ではないのである。だから国にとして軽軽しく「あなたの国を侵略しました」いわないのである。1995年、中国に謝罪した「村山富市総理談話」が強く非難されるのはこのためである。東京裁判で刑死した東条英機大将(陸士17期)は大東亞戦争はあくまでも国際法上違反しない自衛の戦争であったと主張した。また陸軍大臣(第二次近衛内閣)に就任した昭和15年7月22日から総理をやめた昭和19年7月22日までについて、その間の政治責任は一切自分にある。敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であるとはっきりとその口供書に述べている。この「東条口供書」は朝日新聞法廷記者が作った「東京裁判」中巻に全文が載っている。東条大将は昭和23年12月23日従容として死についた。毎日新聞社会部の駆け出し記者だった私は先輩記者と共に巣鴨刑務所の鉄条網の一角に張り込み取材した。零時ごろ建物の中で動きがあった。その雑感は先輩記者が書いた。医者が報告した東条大将の死亡時間は23日午前零時10分30秒である。中国の要人は東条大将とヒトラーを引き合いに出すが、二人を同日に談じることは出来ない。私は6日朝、同台経済懇話会の会員と共に靖国神社に昇殿参拝した。小泉首相も初心を貫徹されよ。私には首相の言う事がよく理解できる。

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