2005年(平成17年)10月1日号

No.301

銀座一丁目新聞

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自省抄(42)

池上三重子

   9月4日(旧暦8月1日)日曜日 ひととき小雨

 黄瀛(こうえい)大人のこと!
 知りたい心切なれば天、嘉し給うか。「銀座一丁目新聞」発行主の牧内氏の会社におられる傳さん、上田さん、浅野さんのお三人は黄瀛大人にお会いになったことがあり、傳さんの母上は四川学院の教授、黄瀛大人とご同僚だった由。感激屋私は、おもわず神、われを嘉し給うと頭を垂れたのだった。牧内氏にお贈り頂いた大人の名刺は金色のホルダーで大事に保護されていた。ありがたし! ありがたし!!
「黄瀛」と名刺に刷られた大人のお名に目が触れた瞬間、涙が溢れた。そして、これ程までに私は己の人生を生き貫いた黄瀛を崇め敬愛していたのかと、自分にも感動してしまった。佐藤竜一著『黄瀛』によれば、都合の悪いことはすぐ忘れる黄瀛大人に、金窪キミや岡田美都子、竹中郁といった朋友方は「調子にのるな」などと忠告しては、かえって煩さがられる程だったとは。黄瀛の魅力ともども、女友達たちの心の篤さに感動させられるではないか。
 ありがたい事よ。本当にありがたいことよ。
 善き人々を知ることは私の歓び。真実の情美しい人々を知ることは私への励ましであり慰藉に他ならない。
 浮沈また揚降はげしい感情をおしつつみながら、さりげない仰臥三昧の心情を、心象を人は知らない。ひそかな憤怒のたぎりを、憎しみを怨念を床上六尺の当人は知り尽くす。遠い日に受けた理不尽な扱いも処遇も、思い出すたびに「邪悪根性よ」と、忘却には程遠いのだ。だが、私の芯の純粋を正義を真実を、私は愛する。慈悲の目をもって感謝する。感謝する心の篤実をかぎりない宝珠とする。無尽の玉手筥なのだ。

  虫しぐれさんさしぐれの今宵この降りの謐かさ 黄瀛をおもふ
  アイノコの浮沈険しき生を超えみ詩すずしき詩人黄瀛
  黄瀛のお身のゆたかさ 伝書鳩・賢治・光太郎・魯迅・鑑三
  母キクの齢超えませと祈(こ)ひにしをああ過ぎたもふ大人黄瀛
  うつそみの人なる吾やみちのくの忍ぶ文字摺 黄瀛を恋ふ
  なんじゃもんじゃ頭がうち騒ぐ重慶の暑ささなかを黄瀛逝きましぬ
  せめてはと香たきまつる黄瀛のみ墓辺こめて匂へ沈の香
  父の国 十一年半監獄の負荷重々し耐えまししかな
  日・中の祖国干戈を交じ経たり 黄瀛大人行方絶えし時
  獄出でて戻りまししは六十二歳 偲びつつ吾の泪こぼるる
  吾が導師あぐればマルクス=アウレリウス・ 明恵上人・詩人黄瀛
  運命か 病床六尺五十年かへりみすれば哀れ犀の角
  隈もなく心澄みつつうたふなり 風は帆任せ帆は風まかせ
  腹立たば立つがよろしき憤怒駒 五臓六腑の内奪らせて
  贈られし名刺見るなり泪溢る「四川学院教授黄瀛」
  黄金色のキーホルダーに保護さるる「名刺黄瀛」吾が秘蔵ぞも
  日本は名にし負ひたる軍国の時代ありけり杳き真実
  日本に富国強兵徴兵の制度義務にて殉ず吾が兄
  その胸に戦没兄を封じこめ耐えまししかな哀れ父と母
  ボルネオの椰子林の丘兄冥る荼毘したまへる戦友(とも)も今は亡し

 黄瀛を偲び重慶をおもい、そこにはすでに大人の鎮まります現実に思いをはせる。
  重慶や み墓のほとり 女郎花・葛・白粉の花ら匂ふか
  重慶やみ墓のほとり カネタタキ・マツ・スズ・エンマら 鳴けすずやかに
  重慶を朝な夕なにおもひやる心郷愁に似てその柔らかさ

 母上よ!
 今日もまた佳き賜りの一日でした。
 正面のカレンダーの猫ちゃん母子三匹は相変わらずの姿態で私の頬をゆるませます。子らは眠り母猫はぐるっと瞠いて、もの問いたげです。
 名残り惜しくはありますが、はや夕食まじか。
 では夢見にお待ちしますね。にこにことお現でくださいね。



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