2005年(平成17年)9月1日号

No.298

銀座一丁目新聞

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自省抄(39)

池上三重子

   8月3日(旧暦6月29日)水曜日

 夕飯の献立放送が始まった。
 時計はまだ五時三十五分。階下はこんなに早く配膳? 寝たきりでも殆ど食堂へ車椅子で運んでいるようだから……利用者も介護者も、お互いに生きるとは困難な大事業なのだよ、私よ。
 黄瀛(こうえい)先生ご逝去?! と。
 朝日紙上で先生の教え子、法政大学教授・王敏さんの文章にふれて以来、「中国重慶の地に闘病の先生のご気分は、この朝いかがでいらっしゃるか」「ご機嫌いかがかな、お齢がお齢だけに、どうぞどうぞご安泰に」と祈りの生ずる日々だった。思えどおもえど募る郷愁に似た私の心象は思慕にほかならぬ。
 七月三十一日、重慶ふるさとでの訃。行年九十八歳は高齢に違いないが、百四歳十一カ月、しかも絶対安静四十五日の果てに微塵の呆けも感じさせずに逝った母を偲えば、まだまだ生きて欲しかったと惜しまれてならぬ。高村光太郎や萩原朔太郎、草野心平その他歴々の詩人と肝胆相照らす詩壇の雄であられたのは日本人としての歓びよ。宮沢賢治を見舞われたとき賢治は自分の信仰する法華経をも語ったらしいが、先生は困惑されたろうか。 西日本新聞社の藤村玲子さんから送られてきた書物『黄瀛』を読み始める。が、夜は読めないので残念無念。明日を楽しみにしよう。今の私の灯の黄瀛先生だ!
 早くご存在を知るべきだった。
 生きてあればこそのこの遭遇よ。
 一日本人の気持ちを知って頂きたかったけれど、供花となってしまったのは本当に残念よ。諸行無常よ! 会者定離よ! 求不得苦よ! さしずめ私は求不得苦の心情ささげに終わった。
 が、私は忘れないであろう。
 生ある限り愛惜しつづけるだろう。
 母上よ!
 ありがとうございます―配膳です。

 8月8日(旧暦7月4日)月曜日 快晴

『黄瀛』を読み終わってから、私の心境は黄瀛先生と呼べなくなっているのに気づく。先生という呼称は師事してもいないのに、失礼ではないか、そんな気がしてならない。賢治の作品がどんなに好きでも、光太郎を『智恵子抄』を読むことによって身近に感じても、先生なんて呼ぶ気が湧かないのに、自省抄に先生と憚りなく書いたのは無知からの筆禍、つつしんで詫びよう。
 でもここまで書いたら、また先生の尊称で呼びたい気を感じる。しかし黄瀛と書けそうな気配はほんものとなったようだ。自分の心をみつめつつ書いている間に、自然におちついたらしい。自分の心を騙すなく偽りなく記すのが私の自省抄、本分に戻ったのだ。揺らぎもやもや決まりさやさや、いい気分よ。
  謐かなるわが慟哭や善き人は
   われを遺して過ぎたまふなり
  黄瀛の闘病おもへば自然(じねん)にぞ
   釈迦の涅槃図胸をうるほす
 黄瀛先生、と先生を付けるより「大人」とする方が私には自然のようだ。七月三十一日は黄瀛忌、九十八年の生涯は大きな深い篤いものを私の魂にきざみこむ。どうしてこんなに大人に惹かれるか。われながら訝しい。闘病中とあったが、死因は何だったのだろう。 母上が日本人・宮沢賢治に相見えた人・詩人などなどの理由をあげるより何より、じかに感じるあたたかい人間味がその心うたの詩に溢れて吸引するのだろうか。
 日本にとって、日本人にとって貴重な存在だった。中国にとっても、王敏教授のような教え子さん達のお仲間を世にだされたのだから、同様の事が言えようか。
 吃られたという。母の国日本を去って、父の国中国へお帰りになった。蒋介石の軍門に入られた。混血の悲哀も味わわれた。しかし生得の怜悧な頭脳とあたたかい稟質はどんなに周囲を潤したことだろう。
 遭われた辛酸も困難も侮蔑も屈辱も、私の想像不可能な量と質であられたろうに……越え越えていかれたのだ。重慶そこではご子息二人が医師、アメリカに妹さんがいらっしゃるという。
 明るく闊達な器量偉大なる人よ。あたたかい実にあたたかいものが、こうしてペン持つ私をつつんでくれる。

 昨午、大薮厚ちゃんが汗垂らして入ってきた。水芋をわざわざ持ってきてくれたのだ。建具屋さんに頼んで、車に乗せてもらってきたと。ありがたいなあ、これもまた教師冥利に尽きる事よ。
 水芋大好き人間私をちゃんと憶えて毎年食べさせてくれる……有難し!有難し……
 父上よ!
 あなたは背高い母上が、その葉の蔭になるような水芋をお作りだった。婚家におみやげに持ってかえると買ってきたかと思われたもの。舅の作るそれは、田圃の一隅に未熟児と見えた。
 別にありがたいとも嬉しいとも感謝はさらさらなく、旨し、旨しは心にもりもり食べた。 ありがとう父上よ!
 余りにも遅きに過ぎる謝念を、詫びごころを知ってはもらえないのだ。
 母上よ!
 今日も良き一日でした。
 さっきは桃を本田士の食介で一緒に頂きました。
 父上よ! 母上よ!
水芋も桃も昔のように、こうして頂戴しています。贈り主厚ちゃんと博美の志で。
 夢見にお待ちしますね。



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