2005年(平成17年)9月1日号

No.298

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花ある風景(212)

並木 徹

戦争はすべて悪ではない
 

 戦後60年日本は一度も戦争をしなかった。だから戦死者を一人として出していない。まことに平和な国である。「敵に攻められたらどうするか」と問われた時、ほとんどの若者は「逃げると」と答える。戦後世代は「戦争は悪だ」と教えられている。日本はまことに平和過ぎる国である。
 国際法と戦争について、国際法学者、佐藤和男さんから話を聞く機会があった(8月24日・靖国会館)。国際法では戦争は伝統的に合法的制度とし、欧米人の間には「戦争権」と言う考え方を常識としている。これは昔、男同士が名誉や意地のために決闘が行われた。この場合どちらが悪いか断定できないが、国家間の戦争をそのような決闘になぞらえて戦争遂行自体を合法と認めてきた。学問的には「決闘の法理」というらしい。
 戦争権には開戦権と交戦権がある。宣戦布告により相手国と戦争状態となる。大東亜戦争の際、アメリカに対する宣戦布告は昭和16年12月8日である。中国とは翌日の12月9日である。国際法上認められている交戦権は平時ならば禁止されている色々な行為を戦時に合法的に遂行できる権利である。敵国の領土への侵入とその占領等はその最たるものである。ちなみに米英蘭などの敵国の植民地であったフィリピン、ビルマ(ミャンマー)、東インド諸島(インドネシヤ)などへの日本軍の侵攻は「侵略」ではない。合法的な交戦権の行使である。
 戦争が「侵攻戦争」か「自衛戦争」かの判断は米国国務長官フランク・B・ケロッグ(1925―1929在職)によれば、自らが判断すものだという。各国家が「自己解釈権」を行使すればよい。だとすれば、平成7年8月15日に出した村山首相の談話の中で「植民地支配と侵略」とうたったことは国際法上から見れば言明する必要がなかったといえる。国と国の付き合いである。国際法に準拠すのが当然であろう。日本政府は何回も謝罪する必要はない。国際法を勉強せねばなるまい。もちろん民間の付き合いは別である。
 東京裁判で「平和に対する罪」で日本が遂行した大東亜戦争を侵攻戦争(翻訳係りが侵略戦争と悪訳)として東条英機元首相ら個人に戦争責任を追及したのは、過去にも例のないことで、悪質な国際法侵犯であった。
 忘れてはいけないのは大東亞戦争が終結したのは平和条約の発効された昭和27年4月28日である。この占領期間中いわば「戦争状態」の中で憲法が改正され、東京裁判が行われ、教育基本法が施行された事実である。軍国主義を復活させないため日本弱体政策が取られたのである。そのひづみみが噴出している。いつまでも平和だとばかり安堵しておれない。

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