2005年(平成17年)8月1日号

No.295

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花ある風景(209)

並木 徹

シェイクスピア劇を見るべし
 

  シェイクスピア作・松岡和子訳・平光琢也演出、演劇集団「円」の「マクベス」を見る(7月22日・東京・紀伊国屋ホール)。シェイクスピアが41歳、1804年の作品である、日本は江戸幕府が出来たばかりである(1603年)。スコットランド王国はジェームス1世の治世である。作品は多くの珠玉のような言葉を次から次へと紡ぎだす。とどまるところを知らない人間の欲望とその呵責を表現する。マクベス(金田明夫)は3人の魔女(片岡静香、林真里花、大門マキ)の予言に惑わされて、殺人を重ねて王位を簒奪するも地獄に落ち最後は貴族マクダフ(木下浩之)の刃によって死ぬ。金田マクベスは熱演であった。その予言に火に油を注ぐように励ますのがマクベス夫人(三沢明美)である。美女が悪女を好演するのは見ていて快い。
 劇評論家でもある松岡和子さんはマクベスの虚無感の深さを指摘する。果てしなき欲望の果てにあるのは空虚な絶望であろう。その絶望も良心があるからこそ生まれる。第五幕でスコットランド王、ダンカン(佐々木睦)の殺害に手をかしたマクベス夫人が「まだ血の匂いがする。アラビアじゆうの香料を使ってもこの小さな手の匂いを消すことは出来まい。ああ!ああ!ああ!」と言う科白は良心の叫びである。松岡さんは第3幕第4場でのマクベスの科白、「血の川にここまで踏み込んだからには、たとえ渡り切れなくても戻るのもおっくうだ。先へゆくしかない」の「おっくうだ」(tedious)に「精神の痛覚を封殺した虚無と絶望が滲み出ている」と解説する。
 「もう眠りはない。マクベスは眠りを殺した」(第2幕第2場)どうしたらこのような表現が生まれるのか。すごい言葉だ。自分の邸に王様を招いて宴を開き、邸内で安らかに眠っている王を殺害する。二重にも三重にも王の信頼を裏切る行為である。不眠は不安であり、すべてのことで悪い事が起きる徴しである。マクベスが幻聴に悩まされ、マクベス夫人が夢遊病者になるのもこのためである。まだある。ダンカンの長男マルカム(渡辺穣)の言葉(第4幕3場)。「どんな長い夜もいつかはきっと明けるのだ」。不幸なことに出会い落胆している人々を慰めるにはいい言葉である。「シェイクスピアは読むもの」と誰かが教えたが、至言である。芝居を見ればさらにその味わいは深まる。

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