2005年(平成17年)5月1日号

No.286

銀座一丁目新聞

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(3)

「冬の扇」

−宮崎 徹−

 昭和三十五年の冬だった。団伊玖麿さんが「夕鶴」の北海道巡演で旭川に来られた。たまたま会場への途中で氷屋の前を通ったら、若い衆が鋪道に四角い氷塊を持ち出して鋸で切り、配達している。こんな雪と氷の街で氷が売れ氷を買う人が居るのは不思議だと九州生まれの友人と話し合う場面が、団さんの名随筆「よもすがらパイプのけむり」に載っている。
 旭川に五十年も住んだ私には、その頃の光景が目に浮ぶ。市内では当時唯一のホテルから公会堂に向う途中にその氷屋がある。若い衆の吐く息が寒気の中に白く立つ。
 これは飲食店用の氷なのである。それもビール用で、氷屋はそれを各店用に切り分けて配達する。大型の飲食店以外は未だ冷蔵庫がなかった。ビール用の冷却箱が各店にあって、それにビールを五本とか十本入れて、氷を詰めたり、氷を下の台にしたりするのである。この氷はオン・ザ・ロック用の飲む氷ではなかった。銀座あたりから見れば遙かに遅れた酒飲みである。ニコヨン(日給二百四十円)という言葉が残っていた頃、昭和二十八年のビールの配給価格は大壜で百円だった。大学時代のコンパでは高嶺の花だったビールが大衆の飲み物となったのは、昭和三十年代のことである。男ばかりでなく女性も飲んでおかしくなくなり、都会ばかりか農漁村でも飲み、夏の飲み物だったものが冬場も飲むようになった。この拡大するマーケットを前にして、ビール各社の高度成長期の広告宣伝は烈しかった。
 『○○ビールはあなたのビールです。』と時と所とを問わずビールのセールスマンが顔を出す岡部冬彦の一コマ漫画の連載が受けていた。「暖炉もえ、ビールを夏のものとせず」とは此の頃或る文化人がつくった句で、生活提案型の名コピーだと、今でも私は感心している。ビール産業はこうして大成長した。
 夏炉冬扇。夏の火鉢と冬の扇の意味で、いずれも時代に合わない無用の長物という言葉で、芭蕉が「予が風雅は夏炉冬扇のごとし」と言ったので有名だ。酷寒の旭川の冬の氷やビールも危く冬の扇子と同じにされるところだったが、高度成長はエア・コンの普及を可能にして、ビールは年中の商品となった。時の流れでウィスキーが全盛になるとオン・ザ・ロックというビールの商売敵が出たが、この時旭川でも氷は冷やす為の氷から、口に入る氷に昇格した。最近の焼酎ブームでも同じことになるだろう。いづれも先進地の行き方に倣っているのだろうが、何れにしても無色無臭の氷の商品価値の拡大は発明というより発見で進められてきた。
 幸い旭川は氷点下最低の記録を持ち、三浦綾子さんの「氷点」で知名度もある。冬の寒さという特徴をマイナスにせず雪や氷をプラスに出来るような発見をして、其の特徴を発揮してもらいたいものだ。

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