2005年(平成17年)1月10日号

No.275

銀座一丁目新聞

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茶説

「東京裁判」を見直すべし


牧念人 悠々

 機会あるごとに「東京裁判」(極東国際軍事裁判・昭和21年5月起訴状朗読、昭和23年11月、判決)を取り上げその間違いを論じたい。教科書問題、靖国神社参拝問題、南京虐殺問題など的を外れた論議が横行しているのはいわゆる「東京裁判史観」に災いされているか らである。
 靖国神社の宮司、南部利昭さん(69)が新聞記者の質問に答え、自分の考えを明らかにしている。「中国が求めているA 級戦犯の分祀はありえない。他の神社で祭神が気に入らないから、変えてくれと言えないはずだ。東京裁判で連合国がA 級、B 級などと決めたもので、一緒に日本人が言うことではない。(終戦記念日に行う)全国戦没者追悼式にはいわゆるA 級戦犯らも含まれている。天皇・皇后・首相らも出席するが誰も文句を言わないではないか」(昨年12月30日毎日新聞)。その通りだと思う。
 東京裁判は国際法を無視して戦争に勝ったものが敗者を裁いた復讐劇である。その目的は「政治的戦争責任」の追及であった。そのために新しく「平和に対する罪」「殺人及び殺人共同謀議の罪」を作った。これは「事後法」である。近代法治主義の基本の原則である。犯罪は遡及されて罰せられないと言うのが法の常識である(日本国憲法39条も遡及禁止を決めている)。共同謀議の対象となったのは、昭和3年1月〜昭和20年9月までの間、アジアを侵略して支配下に置く為の陰謀を企て、引き起こした満州事変(昭和6年9月)支那事変(昭和12年7月)大東亜戦争(昭和16年12月)である。侵略戦争であっても「戦争」を犯罪とした法律は世界中何処を探してもない。戦争の共同謀議をしたとして軍人、閣僚28人が起訴された。この人たちを「A 級戦犯」と呼んだ。この間、 内閣は18回も交代しており、28人の中にはお互いに会ったこともない人までいる。当時の日本の政情からも共同謀議が行われたとは到底考えられない。
 東京裁判で被告席に座らされた人たちのうち処刑された「A 級戦犯」7人と獄死した人を含めて14人が靖国神社に合祀されている。この人たちは「法務死」と呼ばれている。「陸海軍将官人事総覧」(上法快男、外山操監修・編・芙蓉書房・昭和56年9月発刊)には処刑された松井石根大将(陸士9期)6名の将官は何れも「法務死」とある。同書の注として死因の項に「法務死」とあるのは、終戦後連合軍の軍事法廷において戦犯として取り扱われ、処刑の悲運に遭われた人である。国家のとるべき責任を負わされた法戦の真の犠牲者として、編者はあえて「法務死」と表わしたと断っている。筆者も今後、B、C 級をふくめて戦犯を「法務死」と表現する。日本人は何も外国人が作った呼称をそのまま使うことはない。しかも間違った裁判によって裁かれた人々である。

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