2004年(平成16年)8月20日号

No.261

銀座一丁目新聞

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山と私

(10)
国分 リン

−ツールドモンブラン−

  「モンブラン」はフランス語で白い山の意でフランス・イタリアの国境に聳えるヨーロッパアルプス山脈の最高峰(4807m)である。
登頂には、ピッケル、アイゼンを使った雪山技術のほか、標高4000m以上の高所で1日10時間以上行動できるなどの体力が必要とされる。夏の一定期間に、高地トレーニングの後、現地の山岳ガイドの手引きで登るのが一般的と新聞の記事に掲載されていた。

 とうとう夢がかない念願の「ツールドモンブラン」を無事終えた。
感動の連続で思い出しては興奮状態になる。3月末にエーデルワイスクラブの仲間から誘いを受け、休暇が取れる日程なので、申込みをした。詳しく説明を受けると、ツアーではなく、個人企画で仲間のMさんがフランス在住のガイド佐々木亜津美さん(戸隠小屋のお嬢さん)とのメールのやりとりでスケジュールを決め、6名で申込みをして決定。航空券も旅慣れたSさんがエールフランスの早割りで手に入れ準備が整う。エーデルワイスクラブの女性パワーは素晴らしいと改めて実感する。

 7月7日(水)18時30分日暮里駅集合、汗だくで駆けつけ皆の顔を見ると輝いている。Sさんの一声で忘れ物がないか、特にパスポートのチェックで安心して成田21時55分エールフランス機で出発。23時30分にようやく夕食時間になりシャンパンで乾杯をしてパンと赤ワインでぐっすり休むことが出来た。

 7月8日(木)17時間の時差をあまり感じず、早朝フランス時間4時15分にパリドゴール空港着。7時発ジュネーブ行きへの乗り換えの為ドーム型の広い空港内を30分以上歩く。我々以外日本人はいない。8時10分ジュネーブ着。この空港は大変珍しく、スイスとフランス2国へ出国することが出来るとシャモニーから迎えにきた亜津美ガイド所属のアルプスプランニングジャポン社の神田女史が先導してくれた。もちろんフランス側へ手続きをとり、車でシャモニーへ、窓外に流れる景色を夢中で追う。とうとう着いたと実感する。

 シャモニーの朝10時まだひっそりとしている。氷河が流れ込む白濁の急流川の傍に建つ「バレーブランシェ」5階建てのプチホテルへ到着。大きなトランクを部屋へ持ち込み準備をする。
 時差調整をするため、シャモニー観光をすることになり、ロープウェイを乗り継いでブレバン展望台(2525m)へ、360度見晴らしがよいが、あいにく雲が湧き上がり谷を隔てたモンブラン山群やボソン氷河の全貌は望めない。ここは岩峰なので垂直な壁で岩登りをしているパーテイを近くで観ることが出来たのに驚いた。中間駅でオープンサンドとスープを食べ、お花を求めて散策する。アルプスローザ・マンテマ等が色鮮やかに咲いていた。雨が落ちてきたのでシャモニーへ戻る。神田氏がシャモニー1のスポーツ店を任され、日本人旅行者の相談相手をされ、我々も1/25000の地図を2枚購入し、とにかくザックの中身を必要最小限に軽くして、ウェストポーチも日本人だけ、狙われますよ。のアドバイスを受ける。
 初日の夕食は神田氏おすすめのイタリアン、ボリュームが凄い。
ホテルへ戻りアドバイスどおり荷物を整理した。同室の友はこんな軽いザックは久しぶり、いつも余分な物を持ち過ぎだと反省した。

 7月9日(金) 10時に亜津美ガイドが迎えにきた。共同装備とザイルが入っているはずなのに彼女のザックは非常にコンパクトで軽そうである。皆に忘れ物がないか確認して、トランクと4日目クールマイユールでの着替えを預け、10時45分いよいよ車で出発。車窓から古い歴史の町並みを通り過ぎ歩き始めのノートル・ダム・デ・ラ・ゴルジェ寺院(1210m)に着いた。マリア様を祀る歴史のある教会で皆が無事を祈る。私は友の病気の快復を切に願う。
 準備運動をして、11時45分一歩を踏み出した。古代ローマへ続く歴史のある石畳の道と、石積の橋があり、思わず手を触れローマ時代を想う。亜津美ガイドは息が弾まないゆっくりペースが皆にとってはとても楽である。歩きやすい道が続き、ナンボーラン(1506m)で大きなハムとチーズがはさんであるクレープとココアの昼食がとても美味しかった。底まで見える流れの強い小川と日本では見られない雪をまとい、尖った山々をみながらのオープンテラスでの食事は格別である。
 13時20分ジョーリーの谷へ入ると、のどかな放牧地の間、大小様々なカウベルをつけた茶色の牛達が私たち6人をみていて、人間が添え物に感じた。14時35分ラ・バルム小屋(1706m)へ着いた。広々した台地で前と左は聳える山、右にキャンプ場があり数張りのテントがある。寝室用に二棟各15人づつで個々にベッドが準備されている。シャワーも洗面所も清潔で気持ちがよい。翌日の説明を受けめいめい自由に行動する。初めての山小屋の食事である。パンはどこの小屋も自家製で食べ放題である。人参長ネギ豆のスープに牛肉のソテーと味がついた添え物のご飯にチーズと青りんごをお腹一杯食べた。心配したが、結構美味しく食べられる。大丈夫。

 7月10日(土) 朝から雨模様で、フランス式の朝食(パンとバター・ジャムに飲み物)を済ませ雨具をつけて7時30分出発。ボンノムのコル(2329m)に着いた頃雨が雪に変わり吹雪になった。すぐに周囲が真っ白になりそこへスミレの紫が透けてみえとても印象的である。花たちも驚き、でも負けずに精一杯咲いてる。ボンノムのコルの10人で一杯になる小さな避難小屋で休み、次々来るハイカーに席を譲り、雪の上を歩く。クロワ・デユ・ボンノム(2479m)へ着く頃,天候が少し快復して周囲が見えた。が、ここからヴァリエーションコースへ向かい、登り返して送電線の下を潜り、雪の上を一歩一歩進み、12時30分にフールのコル(2665m)に着いた。見えた、モンブランの雄姿が! 雲が動き、グラシェ針峰も素晴らしくとても雄大である。皆いっせいに撮影タイム。亜津美ガイドが大きな岩で風除け場所を昼食場として設け、お昼タイム、皆まだまだ元気で、今の感激でおしゃべりも賑やか、ふと空を仰ぐともう雲の中へ隠れてしまった。
 フールのコルから雪道の急坂を一気に下る。皆慣れていて亜津美ガイドの後ろ順調に一直線に下る。2401m地点まで下り、雪がなくなると素晴らしいお花畑が広がる。13時10分大きな滝に出る。周囲はお花畑、ここで休憩、皆思い思いに過ごす。とても気分がよい。ここからの道はとてもたくさんの種類の花々が咲き乱れている。
 ポーフォールチーズの名産地のグラシェ村(1789m)に着く。あいにくチーズ工場は休憩中で求める事は出来なかった。上から見えたモッテ小屋(1870m)へ15時35分に到着。車で来て料理を楽しむ人も多いらしい。寝床は牛小屋を改造した物で一番日本の山小屋に近い。楽しみのお料理は豆のスープの後に大きなソーセージに添え物のぽろぽろご飯とズッキーニ、チーズは美味しい物にしかつかない虫つきで、虫眼鏡でしか見えないが、確かに動いていた。皮を厚くむいて食べた。なるほど美味しい。デザートに焼きプリンをたべていたら、ここの女将さんがアコーデイオンでアルプスの山の歌を淡々と3曲歌いアンコールにも答えず奥へ消えた。きっとサービスの一つなのでしょう。

 7月11日(日)いつもの出発時刻、霧が立ち込めた中ひたすらゆっくりフランスとイタリアの国境セイニョのコル(2516m)ヘ10時30分到着、残念ながら展望がない。晴れていればモンブラン山群イタリア側・モンブラン東南壁・グランドジョラス・スイスアルプスの山々が見られるという。あきらめてイタリアのエリザベッタ小屋を目指す。途中モンブランが姿を現し、歓声を挙げ、シャッターを押した。ころころとしたマーモットにあった。少し歩くとマリア様を祀った祠があり、そこから200m上にエリザベッタ小屋(2200m)がある。折からアルプスホルンの音色がボーと聞こえてきた。目を凝らすと小屋の横でホルン3本の合奏が聞こえる。私たちの歓迎演奏のようだ。浮かれてエリザベッタ小屋へ丁度12時に着いた。この日はアルプスホルンの集いがあり、分かれて各地の山小屋で演奏活動をし、ここには民族衣装を纏った女性2人と男性1人にその家族の方たちでした。お昼も特別メニューでサービスがあり、トーモロコシの粉をよく練りチーズを上に乗せオーブンで焼いた物、日本でいえばドリア風だが、とてもこくがあり、美味しくてすぐに平らげた。14時からまたアルプスホルンの演奏が始まり、ベンチで楽しむ。ホルンの模様が可愛いのでカメラに納める。でもこの時期には珍しくとても冷たい風が吹き荒れ、とても寒い。
小屋の横のレックスブラシェ氷河を渡る風が耳を切る冷たさで、暖かい談話室で過ごす。楽しみの夕食は野菜たっぷりのスープと豚肉のソテーにマッシュポテト・野菜サラダで口に合った。デザートはネクタリンで程ほどの酸味がいい。いつもイタリア料理は美味しいと聞いていたが、満足した。

 7月12日(月)早朝6時、3階のベッドルームのベランダへ出ると、西の氷河が大きく立ちはだかり、東の山々に光が筋を描き、墨絵の世界である。朝のいつもの時間に出発。氷河とエリザベッタ小屋を後方にコンパル湿原を快適に歩く。両側は広々と続く花畑、水辺にキンコウカの黄色が鮮やかである。湖水に映るモンブランを期待したが今日はまだ姿を見せず残念。氷河が次々現われ、鋭い山々はさすがヨーロッパアルプスだ。谷底の道路を歩いてバスでクールマイユールに降りることも出来るそうだが、あえて谷から山道を登りあげてお花畑の中をノンビリ歩く。3時間ほどでピークの2375m地点の見晴台に着き充分に景色を満足し、気分よくシュクルイのコル(1956m)へ着く。ここにリフトがありザックを前に抱えルンルン気分で降り、乗り継ぎで150人のりの大きなゴンドラに5分ほど乗り、イタリアのクールマイユールへ。始めてのイタリアの街、北イタリアのリゾート地でリッチな別荘がたくさんあると亜津美ガイドが教えてくれた。待ちに待った本格スパゲッテイを食べる為、亜津美ガイドの案内でレストランが並んだ一軒へ、テラスでピッツア・ボンゴレ・トマトソース味に野菜サラダを注文する。サラダは量が多く一週間分の緑を食べた。スパゲッテイの量も多いが美味しいので夢中で平らげた。1人の日本女性がトボトボ歩いていたので声をかけたらツアーできて歩いていたが、疲れて歩けなくなり途中リタイヤして1人でシャモニーへ帰るとの事で、私たちは皆足並みが揃い元気なのでよかったと胸をなでおろした。
 クールマイユールのホテルの一室でシャモニーからの着替えをして、バスで40分、16時にフェレの谷のアルプノーバ(1769m)へ到着。ここも牛の放牧地でカウベルの音も賑やかに黒い牛達がたくさんいる。わざわざ牛を見に来る人たちもいる。亜津美ガイドによるとこの地方も闘牛が盛んらしい。ここも車道と山道があり、もちろん山道に入る。ここは南面のせいか、お花の種類が違う。日本にはない紅色の車百合やピンクの可愛い花をたくさん付けたなでしこが、一面にあり、皆でシャッターを押した。特に明るいこの谷はいいなと想いながら、ゆっくり歩いた。17時にエレナ小屋(2062m)へ着く。風車や太陽熱利用の立派な石造りの建物で一階は大きなレストランで地下に新しい木の香りのするベッドが50個もある一室があり、とてもきれいである。夕食はポランタスープ・豆サラダと豚肉ソテー・カルボナーラ・パン。青りんごにブルーベリーのタルトをいつもお腹一杯食べてしまう。満足です。

 7月13日(火) 朝から雨がしとしとで雨具をつけていつもの出発時刻に出て、9時10分にフェレのコル(2537m)に着く。イタリアとスイスの国境で晴れていればブランコンバンやモンブランがよく見えるところなのに、またまた残念である。でも日本の夏の暑いジメジメ雨ではなく、さらっと歩きやすく放牧地なので広々として退屈しない。途中いろいろな花たちと名もない大きな滝が何ヶ所かあり、変化がある。スイスのフェレの村(1700m)へ到着。メルヘンのような村で窓辺には色とりどりの花が咲き誇っている。村のレストランでスイス料理のロシテイ(ポテトにチーズを載せて焼いた物)を食べる。折からのにわか雨でレストランも一杯になり、賑やかだ。バス停に向かうとセントバーナード犬がバスの車体に描かれ、この犬が人助けをした漫画も書かれている。とてもユニークで楽しい。電車も同じ色調で犬が主役である。聞くとセントバーナード社が経営していて犬も飼育しているらしい。バスを乗り継いでスキー場のあるシャンペ(1498m)へ14時10分に着く。リフト乗り場の横の沢沿いを森の中50分ほど歩くとアルペッタ小屋(1627m)へ着いた。広い庭と動物達の開放された飼育小屋と子供達用の遊具もあり、子供達の遊ぶ声が楽しい。ゆっくりくつろぐ。ここの名物はチーズフォンデユーらしいが亜津美ガイドがそれは一人前にして残りはミートスパゲッテイを注文します。野菜サラダバーとキャベツの酢漬けとパン これで充分 皆でチーズフォンデユーを突っつき一人前で満足でした。デザートにショコラケーキ でも甘かったナー。

7月14日(水)ようやく天候がおちついてきて朝から晴れ、期待で胸がふくらむ。前方に見える頂きに登るバリエーションコースである。7時25分に出発し、1時間おきに休憩をとる。始めて本格的な岩場を登る。その上は最後の最難関、雪渓の急騰である。あえぎながら一歩一歩登り、ふと顔をあげるとトリアン氷河とモンブランが目に映った。フネートルのコルに11時10分に着いた。素晴らしい。ゆっくりと目前の雄大な氷河とモンブランを楽しむ。
次々と登ってくるハイカー達が下っていく緑の中へ溶け込む姿を追い、大勢が休んでいる眺めのよい場所で亜津美ガイドが「ここで1時間休憩、お昼をどうぞ、お昼寝をどうぞ。」初めてでした。天候さえ良ければ毎日出来ることがプランにありました。アルペッタ小屋で調達したピクニック弁当でパン4枚・大きなチーズとハムが2枚づつ・サラミが一本・人参の千切り・ポテトだけのサラダに青りんごにすりりんごのムースと盛りだくさんで非常食分も含めても凄い量に驚く。湿気が少ないので腐る心配はないのかと思う。山でこんなに変化のある食事は嬉しい。ゆっくり思い想いに十分に景色を楽しむ。太陽が輝き、トリアン氷河やモンブランの輝きを背に受けて、
ひたすら下り、トリアン村の教会が遠くに見え、そこまで静かな道を歩く。丘には牛達が放牧されている。途中シュレーターの様な避難壕が丘の下に造られていた。立派な物で驚いた。16時25分にトリアン小屋へ着いた。スーパーとカフェの経営もしており、3階建ての石造りの立派な建物である。シャワーを浴びくつろぎお喋りをする。夕食はコーンスープにチーズを入れ、ビーツ人参レタスのサラダが大盛り・ポークソテーにきのことマカロニ添え・パンとネクタリンでした。今日も食欲がありました。 最後の夜なのでやすんでしまうのも惜しく21時に外へ出ても明るく太陽がようやく西に傾き、山が赤く染まる。教会へ誘われその前にぬかづき、感謝と友の快復を祈る。しばらく静寂の村に感動する。

 7月15日(木)いよいよ最終日になり、お天気も祝福するように
すっきり晴れ渡り、いつもの時刻に出発し、放牧地の間をしばらく歩き、この時期にイチゴの収穫をしている人達がいて、大きな粒と、香りを横目で見て歩き、山道に入る。数パーテイの人たちと追いつ追われつでこのコースは人気があるらしい。見晴らしのいい場所で休憩中、ふとよく見るとアルプスローザの花盛りで群落地が広がる。
周囲の山も良く見えお花畑を楽しみながら11時にバルムのコル(2191m)に着いた。イタリアとフランスの国境でフランス側からゴンドラとリフトを乗り継ぐと楽なので家族連れが次々登ってくる。
亜津見ガイドが「最後のハイライトです。十分にこの景色を楽しんでください。向かって左からベルト針峰・ドリウ・モンブラン・アカイ針峰群です。」と教えられ、この自然のプレゼントに感謝しつつ
時を過ごす。これが幸せの実感である。12時にクワットリフトとゴンドラで山を下り、バスで13時30分にシャモニーへ、皆で相談の結果、中華料理で最後のランチを亜津美ガイドと共にし、名残を惜しみながら無事に終わった事を互いに祝った。絶対の信頼感と、微に入り、細に渡りの亜津美ガイドに深く深く感謝したい。彼女は私の娘より若い。これからの一層の活躍を心よりエールを送りたい。

7月16日(金)シャモニー観光の目玉「エイギュデミデイ」へ登らないなんてということで、修理が終わり15日から運行が始まったばかりの行列のゴンドラへ、Mさんが高山病予防のグリコラミンを1粒づつ分けてくれ、口に含む。ゴンドラを2回乗り換えて最高地点3817mの展望台へ、富士山より高い所へきたのでゆっくりゆっくり行動する。モンブラン登頂に挑戦する人たちの姿が何パーテイも上から見ることが出来る。真っ白い雪の上にトレースをつけて、アンザイレンをして登る姿に感動する。モンブランも真っ白くやさしげな姿に見え皆の登頂を待っているかのようである。360度の展望をゆっくり見渡して次はイタリアのフェルブローナのゴンドラへ乗り換える。赤い4人乗りが3機連なって運行され、雪の白に赤いゴンドラが映えてとても美しい。シャモニーからここまでの3時間ほど景色を満喫した。ゴンドラ終点からバスに乗り換えイタリアのクールマイユールへ12時15分に着く。2人の旅なれた仲間が企画したイタリアのアオスタへ、昔ローマ時代の円形劇場や古い教会の回廊の遺跡がたくさんある町で14時30分にバスターミナルに着く。大きな町だが、山での地図読みが出来るSさんはいつも磁石と地図をもち新しい町を冒険するのが面白いのよと軽くいい、先頭を切ってくれる頼もしい人である。充分に古代ローマの息吹を感じ18時30分にシャモニーへ戻る。最後の晩餐なので亜津美ガイドお勧めの5ツ星レストランのメゾンキャリエールへ、とても雰囲気のある建物で、大勢のお客様が夕食をしている。スモークサーモンとカナッペが前菜で、トマトスープにチーズを入れトラウト(にじます)のソテーにレンズ豆添えにデザートは自分でチョイスして食べ放題で満足した。

 カメラードのお陰で始めての海外トレッキング、こんなに変化のある天候にもかかわらず、毎日が楽しく、困ることもなく無事に終わりました。
 佐々木亜津美さん・シャモニーの神田さんご夫妻に感謝をしてこのツールドモンブランが終わりました

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