2004年(平成16年)8月10日号

No.260

銀座一丁目新聞

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安全地帯(83)

−信濃 太郎−

体を動かすと次の課題がわかる
 

 ドイツにバレーの留学にゆく高校生井沢諒君は「体を動かすと次のやるべき課題がわかる」という(8月3日NHKテレビより)ひとつの目的を持った15歳のこの少年の言葉はすごい。指示待ちの人が多い昨今、このような言葉はなかなか生まれない。駆け出しの記者時代、取材に出かけても5W+1H を守るに精一杯であった。取材経験をつむと、仕事をやっているその中に次の仕事の芽があるのを知った。
 平成5年1月小和田雅子さんが皇太子妃に決まった。今から11年前の出来事である。今、雅子妃は体調が思わしくなく公務から遠ざかっておられる。一刻もはやいご回復を祈らざるを得ない。当時、私は雅子さんのご成婚を別に驚かなかった。スポニチは平成3年9月、毎日新聞の元宮内庁記者であった清水一郎君を迎えて取材班を編成、 小和田雅子さん一人に絞って取材をしていたからである。これはスポニチが進めた事業を展開中に生まれた情報に基づくものであった。事業は新しい事業、取材の芽を生むのである。それを感じる人とそうでない人がいる。意欲と前向きに生きるもの違いからくるものであろう。
 平成3年8月、この秋、日本アイスランド協会設立総会に出席されるアイスランド共和国ヴィクデス・フインボガドィル大統領が学習院大学から名誉文学博士号が授与される話が内定した。そのお礼にと学習院大学文学部長、小林善彦さんと同大OBの田中鉄男さんを招いて食事をした。帰り際、田中さんが「無理かもしれないが皇太子のお嫁さんは 小和田雅子さんしかおりませよ」と話してくれた。スポーツ紙では珍しい皇太子妃取材班を作った。毎日のOB清水君を迎えるので当時の毎日の社長渡辺襄さんにその旨を伝えた。後日渡辺社長から「 小和田家と家族ぐるみの付き合いをしている斉藤君(後に毎日新聞社長)の話では絶対ないということだ」と聞いた。絶対にないという話が実現した。1月7日付けスポニチは24ページ中19ペー ジ、雅子さんの特集を組んだ。その朝の即売は売れに売れた。
 スポニチとアイスランドの関係は平成2年11月東京でスポニチ主催でアイスランド・フェアを開いたことから始まり、日ア協会設立となった。さらに大統領が異例のスポニチ東京本社訪問までが実現した。
 人間は体を動かさないと前に進めない。目標を持てばやるべきこと,仕事がわかり、次から次と発展する。井沢君の将来が期待される。  

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