2004年(平成16年)6月10日号

No.254

銀座一丁目新聞

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茶説

普通の家庭の普通の子供とは・・・



牧念人 悠々

  佐世保市でおきた小学校6年生の女子児童の同級生殺害事件は深く考えさせられる。チャットで悪口を書かれたからといって人を殺せるものであろうか。佐世保市の児童相談所の所長は加害者の児童について「普通の家庭の普通の子供である」といっている。一見そう見えるだけであろう。
 悪口を言われた場合どのような対応をするであろうか、まず、黙殺する。次にやり返す。相手の悪口をいう。これが一般的であろう。その次に怒って、喧嘩となり、殴る。ここまでであろう。簡単に人を殺せない。相手を呼び出し、カッターナイフで殺害すのは異常で、しかも死ぬのを確認するために15分も現場にとどまっていたとあっては度を越している。テレビの見すぎで、ヤクザのやり口である(本人はテレビドラマをみたといっている)。事がおきて、素手ではなく、刃物に頼るのは「心にひずみ」のある徴である。「普通の子供」とはいいいきれない。
 筆者の場合、子供の頃かなり悪童であった。喧嘩はするし、畑の物を盗むし手におえなかった。だが刃物で人を殺そうと思ったのは一度もない。
 家庭に問題があると思う。新聞はプライバシーに配慮して加害者の家庭の事情を明らかにしないためよくわからないが、日常生活の中で「我慢する」「耐える」のをしつけていないのではないか。それとともに「命の大切さ」「人を傷つけないこと」を知らず知らずのうちに身につけさせねばならない。それが親の務めである。子供の行動があまりにも短絡過ぎる。「心のひずみ」が刃物を使う行動となって現れたとしか考えれられない。パソコンのチャットは一つのきっかけに過ぎないにしても、ネット上で使われる言葉が汚すぎる。言葉も心の表明である。加害者の児童には殺人を犯す前駆的症状が出ていたはずである。不幸にして両親はそれを見逃してしまった。「普通の家庭」と見える家庭に意外と問題を抱えているのをはしなくも露呈した事件といえる。

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